非日常的刺激を受けに、ということである。
東京都美術館 マウリッツハイス美術館展
今更ながらではあるが、こういった名画を鑑賞できるだけの鑑賞眼や知識を持ち合わせない身である。
そんな情緒を解し喜ぶ心がないような身でありながらも感じるのは、文句なく素晴らしいということ。
『心なき身にもあはれは知られけり・・』といったところか。
そして、意外に小さい絵画であるのに驚く。
陳腐な表現だが、不思議な魅力がある絵である。
薄暗い館内で現物に対面すると、その思いはより強くなる。
彼女の視線に射すくめられ、身動きできず、当方の心の中まで見透かされているような。
たとえれば、彼女の唇が『わたし、全~部知ってるのよ・・』とでも言っているような、かな。
この眼差し・・ |
感動の余韻を引きずりながら、美術館を後にした。
外は灼熱地獄だった。
日本でも人気あるフェルメールであるが、彼の作品の中でも特に人気の高い一枚である。
この種の有名絵画の展示の際はたいてい混雑するものと覚悟してはいたが、それにしてもすごい混雑だった。
入館するのに行列、入館して会場に入るまで(チケット切り離しの受付到着まで)に行列、(この絵だけではあるのだが)絵を見るのにまた行列・・・。
やっと彼女の前に来ても、『立ち止らずにお進みください』との係員の甲高い声が興を削ぐ。
普段の生活ではありえない人ごみ=混雑である。
あまりに人が多すぎて、田舎者は疲れてしまう。
小生に絵心が少しもあれば、我が家の咲き乱れるヒマワリも、キャンバスに描かれているのかもしれない。
ゴッホのように、とはいえないまでも。。
彼らの名画にも無論感動するのだが、ここの日々自然の織りなす風景も、またなんと感動の連続であることよ。
写真に収めることしかできないのが残念だ |
夏の暑いイメージだけはお伝えできる画像ではないかと思う
渦を巻いているが如き、整然とした幾何学模様
宇宙が表現されていると感じる
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