これから本格化する田植えのためであろう、今の時期は取水を増やしていて、水路は満々と水を湛えて、ゆったりと流れている。水面には桜の花びらも浮かぶ。良い眺めだ。
完成から350年以上たった現代もなお、この水路は流域に恵を与え続けている。
永田茂衛門さんは他にも幾つかの江堰、水路を作っている。なんともすごいものを作って遺してくれたものである。
この辰ノ口江堰、用水路の完成により、久慈川東岸地域の灌漑が進んでこの地域は年貢米が18,000俵から23,500俵となったという。
水路は久慈川の東側山裾のほぼ等高線に沿った地形で曲がりくねりながら金砂郷の山田川まで続く。
驚くのは、山裾を延々と掘り進めたエネルギーのすごさ。そして用水路の勾配が100mにつき5cm(5/10,000)という極めて緩い傾きを実現させた技術力。
江戸時代によくもまあこんなきわめてわずかな勾配を、岩を掘りつつ15キロ以上も作ったもんだと感心する。作った当時はコンクリートなどないし、染み込んでしまう水をどうやって防いだのか。どうやってほぼ水平に近い勾配を計算できたのか????
既に一部では田植えが始まっている。
大多数の田んぼではこれから代掻きが始まる。かように必要な時に必要な分の水を容易に引き込むことができ、水に不自由せず稲作が続けられるのも、先人・永田茂衛門父子の偉業による。
後世に残る仕事とはこういうものだ。我も志高く斯くありたいと思うのだが、いかんせん・・が・・だものなぁ。
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