朝夕はだいぶ冷え込むようになってきた。と同時に、空気が澄んできたと感じる。
秋の日の空は驚くほど澄み青い。大気中の水蒸気の量が低くなっているからだと気象予報士は解説する。9月までの、暑さと湿潤さが微妙に混ざった空気と違いすっきりとした乾いた皮膚感覚。噴き出た汗も吹き抜ける風に短時間で気持ちよく乾いてゆく。暑さが苦手な人たちにとっては待ちに待った季節の到来だろう。
そして夜の天空には星がたいへんきれいに見えるようになった。おりしも今日10月21日の夜、正確には22日に日付が変わった夜は、オリオン座流星群のピークだとか。
先日、大学生の甥が久しぶりに訪ねてきた。
最後に会ったのはたしか小学生のころ。すっかり大人になった彼は、某大で宇宙の何やら難しい分野を勉強していて、来年には院に進んで更に専門分野を究めるのだそうだ。小生の中では小さなイメージのままのだったので(背丈も含めての)成長の驚きとともに、彼の前に広がる未来と無限の可能性に眩しさを感じた。言わずもがなだが、それらが過去のものとなって久しい我が身である。
彼は専門分野を聞かれた際に説明にだいぶ困っているらしい。説明しようにも一般人には馴染みがないマニアックな分野で、イメージしてもらいにくいようだ。
分かりやすい喩えで、と話してくれたのが、小惑星探査機ハヤブサが『イトカワ』から持ち帰った微粒子の話。カプセルに入れて回収したあのごく微量の粒子を分析することで、太陽系の起源や進化の謎、生命をつくる元がどんなものだったのか等の手がかりが・・・何やらかんやら・・・(以下略)。
フンフンと頷いてはみたが、分かったような気になっただけだ。とにかく『難しい』ということだけはよく理解したが、わが貧困な頭ではイメージさえ難しい。
今回、ニュートリノの研究でノーベル賞を受賞した梶田氏も同じような苦労はお持ちかも知れぬな。とにかく、こういうことを考えようとすることだけでもすごいものだ。血が繋がっている甥とはいえ、頭の中の作りは小生とはだいぶ違うようだ。
話をしていて、小生もその昔に宇宙に単純に感動したことがあった記憶を懐かしく思い出した。もう半世紀近く前の小学校時だったか。
天体について勉強した日の夜に、外に出て夜空を見上げ北斗七星から北極星を探したのち、天空に広がるカシオペアや銀河を探したのだった。きっと先生から指示があったのだろう。オリオン座も見たから季節は冬だったはずだ。
教科書の図からイメージしたものとあまりに違う大きさにびっくりしたあの夜の感動。いまも鮮明に覚えている。さすがに天空の星座が教科書の図のように実線で結ばれていなかったことには驚かなかったが。
うっすらと雲がかかったように(ミルクをこぼしたように・・か)ぼやっーとした銀河の帯にも、しばし見入ってしまった少年だった。
見ていると吸い込まれるような天空。時々スッと流れ消える流れ星。あの頃は近視でも、ましてや老眼でもなかったので星の姿が裸眼ではっきりと見えたのだった。
この時の感動を持ち続けて宇宙についてもっと勉強に励んでいたら、・・・れば。
・・でも(能力的にも性格的にも研究など無理な我が身であるので、これははっきりと断言できるが、研究者等には絶対になれていないし、鳴かず飛ばずできたこれまでと)あまり変わらぬ人生ではあったろう。
目にしている星の輝きは何万年も何億年も前に発せられた光の数々だとも、その時に教わった。『光年』という言葉もその時知った。当時はそれらの意味するところがよく判らなかったが、今考えるになんとも奥が深い話を先生はしてくれたのだと思う。
夜空に広がる点のよう、あるいは平らな面であるようでありながら、実は三次元。
同時に見えているものでありながらそれぞれは様々な過去・違う時間に発せられた光。それらが同時に広がる不思議空間。この瞬間にはすでに消滅していて、存在していな星もあるに違いない。それが今同時に見える。時空を超えた不思議な四次元の世界。すべてが千年、万年、億年というの単位で語られる。それぞれの星座には神話が伝わるのも分かる気がする。
見上げていると、ふ~っと気が遠のく。人間がちっぽけな存在であることを知る。
冬の星座代表のオリオン座は毎日すこしずつ早い時間から見えるようになってくる。
この星座が午後7時くらいから見えるようになると、今年もあと少しだなあと思う。
あと2か月ちょっとか・・・。あっという間の1年で、歳をとると1年経つのが早い。『光年』単位の話とは較べるべくもないが。
今夜は少し夜更かしして流星群でも見てみようか。月の影響もあまり心配なくて、明るい星が多数流れるとニュースでは言っていた。最近とみに進んだ老眼でも見えるかもしれない。
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