ミツバチたちの様子を観に、定期的に訪ねてはご夫婦と茶飲み話に花を咲かせている。
おふたりとも齢80を超えているが、まだまだお元気である。老愛犬タローとの散歩が日課。のんびりとした悠々自適の老後を楽しんでおられるようにお見受けする。
だが、茶飲み話の際はいつも『昔のように農作業ができなくなってしまった』と口にし、寂しげな眼で田畑を眺めるのが常だ。荒れ行く風景を見るのは辛いがどうしようもなく、もどかしいとも。顔に刻まれた皺は深い。
ため息交じりの『だげどしゃーねぇべな・・・』(だけれども、仕方ないよなぁ)で話はいつも結ばれる。
こんなところに、この土地でずっと農に生きてきたKさんの矜持を見る。
事実、いまでは屋敷周りの小さな畑に少しの食べる分の野菜を作るだけで、やや離れたところにある面積2反(約2,000㎡)の畑は耕作しなくなり数年経つという。田んぼも同様だ。
時折、近くに住むサラリーマンのご子息が休みの日に来て、この畑も草刈りをしてくれているとのこと。だが、それにしてもかつてのようなキレイに手入れされた畑の姿には程遠い。
Kさんから、『どうせ放って置くだけ。畑を何かに使ってもらったらうれしい』との申し出をかねてより受けていた。
我が家でも畑は十分に所有している。それでなくても持て余し気味だ。これ以上他人の畑を借りてまで作物を作る体力も気力もない。気安く請け負える話ではけっしてない。
しばらく話を預かり、何かできないかと考えた末に、レンゲ畑とすることにした。
狙いは、ミツバチの蜜源確保である。
農産物を作るのではなく、これだとほとんど手間をかけずに済むという点が大きなポイントだ。
この畑は、我が家の巣箱からも、Kさん宅のミツバチの巣箱からも近い場所にある。しかもまとまった面積の畑である。ここにレンゲが咲く広い場所があれば、ミツバチたちにとってもうれしいことこの上ないはずだ。
花の時期が終わったら、トラクターで鋤き込む。また来年の開花を待つという、それ以上の作業はないようにして行ける。
Kさんもご子息も、この案を快く承諾してくれた。
我が家の畑や空き地に撒こうと買い求めておいた『レンゲの種』4キロを、この畑にすべて投入した。
レンゲ種(1キロ入り) この畑には4袋を撒いた |
たとえレンゲ畑であるとしても、手を入れることで農地としての機能はある程度保全されるし、景観もぐっと良くなる。所有者としてもウレシイに違いないし、花畑ができることはミツバチにとっても大歓迎。ミツバチが生息する素晴らしい環境が広がることにつながるのである。
畑の所有者・ミツバチを飼う人・ミツバチ、という三者がハッピーになるスキームが、ここに出来上がる。ついでにいえば、直接の利害関係はないがレンゲの花畑を眺める人もまた幸せになれるという、おまけがつく。万々歳ではないか。
もっとこのような場所が増やせて、本趣旨への賛同者も増えてくれればよい。
そうすることで、この寂しい田舎の風景も少しずつ変わるはずだ。
ミツバチはいろんな意味でこの田舎を変える可能性を秘めているのではないかとさえ思っている。これはその端緒かも、とも。
種は蒔いたものの、発芽率がどれほどかわからぬし、一面の花畑とはならぬかもしれない。だが、少しは花は咲くだろう。
さてさて、来春どのような光景になっているか待ち遠しく、楽しみでしかたない。すでに頭の中には一面の満開のレンゲのお畑が広がっている。