このようなビックニュースは滅多にあるものではないが、どのような遺跡であっても発掘というものにはある種のロマンが漂う。
出土する土器の破片からその全体像や製作した人物を想像し、住居跡の柱の穴や竈の焼土から当時の人の暮らしを想像する。
発掘は、掘ること自体も大事だが、その出土品を洗い、整理番号を付け、図面に記録し、土器などはジグソーパズルのようにつなぎ合わせて復元する。さらにそのあとには、専門の学術員が体系だてて情報を整理し発掘調査記録としてまとめ、報告する。この後工程部分も面倒で大変な作業なのだが、この分野が好きな人にとっては全く苦にならない。
以前ブログで、那珂市瓜連にある水郡線跨線橋の部分の発掘調査現場を見てきたことを記した。
・2012/11/02 ブログ 静織(しどり)の里の古代遺跡
既に現場での調査は終わっており、調査報告書をまとめる作業をしている頃だろう。
先日、再び発掘現場を訪ねた。
まだこの部分では工事が始まっていないため遺跡としては残っているのだが、霜柱により土が崩れ、きれいに掘りあげられていた住居跡や柱の穴は見る影もなく平らになり、単なる凹んだ大地に戻っていた。
たしかここに住居跡があったはずだが いまでは全く分からない |
あと何十年、何百年か後に、もっと優れた技術で調査したら、発見できる事実もあるかもしれない。その可能性を『公共事業』なり『学術調査』という理由を付けて今の時代に絶ってしまうのだ。
そんなこともあって、このように調査が終わって崩れゆく遺跡を見ると悲しく複雑な気持ちになる。
常陸大宮市街地から南下し、玉川を渡って那珂市に入った部分のバイパス工事が本格化してきた。この遺跡部分につながる道だ。
市の境を流れる玉川 この橋を越えた那珂市部分で工事が進んでいる |
気持ちよく通り抜けられる日もそう遠くないだろう。
この部分が出来上がるころには、台地上の遺跡も埋められて道路の下になるだろうし、人々の記憶からも消えて忘れ去られてゆくに違いない。
常陸大宮市や那珂市の久慈川に沿った台地上は、ほぼすべての場所に間違いなく何かしらの遺跡が眠っている。つまり太古の昔から連綿と人が住んできた場所ということだ。
それぐらいこの地は暮らしやすいところで、豊かな大地なのである。
玉川は常陸風土記にも記された由緒ある川だし、この市境あたりから北ではメノウが今でもごく普通に出土する。
バイパスのまっすぐな道路が完成しこのあたりを通過する際に、道路下にはそんな遺跡があることをちょっとだけでも思い出してほしい。
発掘現場に落ちいてた土師器の破片 |
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