いつも思うのだが、決して『した』という断定表現ではなく、『したとみられる』とするところが面白い。
相手は自然現象である。
何か梅雨明けの厳格・明確な基準をクリアしたから、と言うわけにはいかない中での判定だ。
宣言はしたものの、そののちに再び雨空が続くということもなきにしも非ず。
力強い夏の太平洋高気圧の張り出しが安定するまで、しばらくは心落ち着かない予報官であることだろう。
そもそも梅雨入りだとか梅雨明けだとか(・・桜の開花日もそうだが)の発表は、本来の気象庁の本来業務にはないのではないかと思う。
ある意味で民間に対するおまけ・サービスの一つではないのかと思う。
毎年春先の桜開花日予想は民間の会社でも精度を競い、かなりヒートアップを呈している。
『梅雨明け』はそこまでいかないまでも、世の人の関心事の一つであることは異論はないだろう。
特に何かが明確に変わるわけではないのだが、このある特定の一日を契機として、世の多くの人は何か気がそぞろになるのだから不思議なものだ。
暑さが苦手な人にとってはきっと一気にウンザリな発表だろう。
(私事だが、猛暑でも酷暑でも、夏の暑いのは全く問題としない体質のワタクシである)
そしてまた、この梅雨明け発表を一大商機として虎視眈々と狙っている企業も数多い。
飲料会社をはじめとする盛夏にニーズが一気に盛り上がる商品を扱う会社だ。
このような企業のコマーシャルベースに踊らされている一面は確かにあるものの、やはり梅雨明けは精神的にも一区切りがつく日であることは、万人が認めることに違いない。
日本における二十四節季とともに、その年々で日が確定はしない・地方によっても日が異なる『桜開花日』と『梅雨入り・梅雨明け』の日に対する思いは、大切な日本人の精神文化だ。
また暑くなるなあ・・と憂鬱になる暑さが苦手な人も大勢いる。
そろそろ夏休みだと心躍らせる学生もいる。
ビアガーデン・海の家などなど、商売に弾みをつける人たちもいる。
各農家にとっては、夏野菜の収穫が本格化する。
いろんな人にいろんな思いを抱かせながら、今年もまた季節が移ろってゆく。
待ってましたとばかりに、昨日今日と各地で猛暑日。
そもそも夏は暑いものであって、そのメリハリが効いている方が経済効果は高い。
今年も(適度に)暑い夏になるといい。
JR水郡線玉川村駅上りホーム 暑い日差しのなか、ひっそりとした誰もいないホーム |
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