2012年5月4日金曜日

雨後のタケノコ

昨日の集中豪雨によって、茨城県内でも崖崩れが発生した。
ニュースの映像を見ていても、なにか秋の台風の際の如くの内容ばかりであった。
多すぎる異常気象・・・どうなってしまったのだ、日本は。
なにかがおかしくなっている。

我が家の田植え直後の田んぼであるが、どうにか単なる冠水で済んだようだ。
当然なかには流されてしまった苗もあるのだろうが、一部の被害に留まった模様。
まだ濁った水が多くて十分な確認はこれからだ。
しばらく水が引くのを待つしか無い。

         

昨年もタケノコを頂戴した親戚から、タケノコを掘りに来ないかとのお誘いの連絡があった。
早速伺った。

親戚宅の裏手にある竹林に入る。
まさに『雨後のタケノコ』状態である。
竹林のあちらこちらに頭を出している。

背負い籠一杯のタケノコを掘り上げた
これだけのタケノコ。
皮を剥き糠を入れて煮るだけでも大変だ。

         

この親戚の家では、ワラビを栽培している。
例年ならば地元スーパーにも出荷している極めて品質の良いモノだ。
だが、放射生物質の基準値が4月から厳しくなったことで常陸大宮市内のワラビはタラノメと合わせて自粛要請となってしまい出荷できないでいる。

⇨常陸大宮市はタラノメは新基準値(100Bq/kg)の1/10以下。ワラビは検出せず、であるが自粛要請が出されてしまったので仕方ないようだ。

茨城県のHP  ・・特定林産物に係る放射生物質の検査の結果について
ためにお裾分けとなった。
収穫したワラビとワラビ畑
(実際の収穫量はこの10倍以上だ)
さっそく夕食でタケノコとワラビを堪能したことは言うまでもない。

         

それにしても東電はこの原発事故で、取り返しのつかないことをしてくれたものだ。
大に小に、様々な形で人々の暮らしを破壊してしまった。
質素に慎ましく、勤勉に、正直に、生活してきた人々の、今の生活と将来の夢までを、一瞬にして壊した。

原発施設のある場所は、ほぼ全てが自然豊かな地方である。
電気を浪費している(としか見えない)『大都市』なる宗主国の市民のため、電気をせっせと作りつづける植民地としての『地方』の構図がここにはある。

発生した事故をいまの科学技術ではコントロールできない原子力。
何万年もの将来までも放射能の汚染を後遺症として残すのである。
今を生きるこの世代がこの快適な生活を守るために、このように将来にも多大な犠牲を強いてしてしまってよいのか、という倫理的な問題もあるはずだ。
原発事故がなくとも、原子力発電で出される放射性廃棄物について、最終処分場の場所も処理技術もいまだに見通しがつかないでいるのが現状ではなかったか。

そんな技術的にも解決すべき課題が多いまま見切り発車してしまった、問題先送り山盛りの原子力発電なのである。
見たくない部分には目をつむり電気を消費している。刹那快楽主義・・。

我々は(自分たちの子や孫、さらにその子孫のためにも)、この科学の火がなくても生きて行くだけの知恵を、いまこそ持たねばならないと思う。
いまの生活も見直さねばなるまい。

         

そういえば、『茨城県民の歌』の3番には『世紀をひらく原子の火・・』という部分があったのを思い出した。
一定の年齢以上の茨城県民であれば学校で習い(・・ことあるごとに歌わされ)きっと歌えるはずだ。
 ⇨  茨城県民の歌
あのころは、原子の火が明るい未来を開いてくれると信じていたのだが。

0 件のコメント:

コメントを投稿