鎌倉末期頃につくられた佐竹一族の戦闘城郭で、中世城郭マニアや佐竹マニアの中では有名である。
この高部館を訪ねるツアーが開かれた。
茨城大学の先生が同行し、専門的な説明を受けつつ歩くツアーとあって、またとない機会であるのでワクワクしながら参加した。
昨年12月に第1回目が開かれ、今回(2/1)は2回目の開催である。前回参加できなかったため今回の参加となった。
この地域の歴史探索ツアーの人気は高く、今回も60人ほどが参加している。
一地方の山城跡を訪ねる内容としては盛況といえるだろう。
集合して係員から説明を受ける参加者。 年配者が多い。 |
あたりには数日前に降った雪が消えておらず、吹き付ける風は頬を刺す冷たさではあったが、先生に引率された老若男女は二手に分かれ、列を作って山頂の本丸を目指した。
麓から山頂まで説明を受けながらゆっくり登って20分ほどだが、本丸への道は険しく、まさに要害の地である。山頂付近の曲輪での説明に聞き入る。 攻め入る敵から如何にして防御し攻撃するか、そのための掘り込みや土塁の工夫に皆がうなづく |
戦闘城郭であるので日常的に居住する空間ではない。攻められた際に立てこもって防戦する『詰めの城』である。
如何にして最後の砦たる本丸に敵を寄せ付けないか、各種工夫を凝らした巧みな作りである。
同じく佐竹一族の山入氏の城である旧水府村国安の山入城、あるいは旧山方町・館にある高館山、旧金砂郷村久米の久米城などの遺構とよく似ていて、自然の地形を巧みに生かし、掘り込んだり土を盛ったりして鉄壁の防御の砦を構築している。
その中でも特にこの高部の地は、佐竹氏と抗争を続けてきた那須氏の領地・烏山に隣接しているので、日々の緊張感は想像を絶するものだったはず。その極度の緊張感がこの館跡には色濃く反映されている。
今は何もなくただ杉林の中に見える地表の凸凹、起伏だけなのだが、これらがその緊張感やらここに集ったモノノフたち郎党の怒号やらのイメージが掻き立てられて、中世城マニアにはたまらないのである。
このような素晴らしい遺構を前にすると、雪が降ろうが寒かろうが、藪だろうが急斜面だろうが、はこの際ほとんど関係なくなる。
雪が残るうえ北風が吹き付けて寒い中、本丸跡で説明を聞く。 今回は読売新聞の記者も同行し取材していた。 果たして記事になったのだろうか。。。 |
麓の会場では地元の方による『原木なめこ汁』がふるまわれた。
まだまだ訪ねたい佐竹氏関連の城跡・館跡は多い。
楽しみは続く。
なんとも楽しい半日であった。
ためにこうやってたくさんの人が訪れ、戦国時代のロマンに浸れるわけだ。
有りがたいと同時に、地元を愛し、その魅力をアップさせようとする熱い思いがこの里に溢れているのを強く感じる。
わが東野にある館跡も、このような地元民が積極的に保存維持にかかわり、盛り上げる形になればうれしいと思う。
それにしても、茨城大学の専門家から現場の細かな説明を聞きながら現地に立つということは、理解を深めるに大変役立つ。有りがたい企画であった。単に好きで現地を歩き回っているだけとは訳が違い、いっぺんにアカデミックになる。
今回同行してご説明くださった先生方も専門ということであるので当然かもしれないが、体系的に網羅された城郭関連の知識には敬服する。おのずと説明に力が入るのは当然と言える。
本当に、本当に、失礼な言い方だが、(同類としてのシンパシーを感じたが故に)かなりの『城郭オタク』で『マニア』ではないかなと思ってしまった小生である。
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