2015年2月26日木曜日

金スマひとり農業 喫茶ハレルヤ

(2016/4/5に 続報)
今日、御前山方面への所要の帰り、金スマ一人農業の渡辺氏が近々開店するであろう『喫茶 ハレルヤ』の場所のそばを通ったので様子をみてきた。

見てきたといっても通過の際にちょっと停車して写真を撮っただけだ。
雨が降っていたので車中から様子を眺めた。
右側茶色の木の柵に掲げてある白い板には、喫茶ハレルヤの名が書いてある。
(国道から南側を写す)
内装工事の業者と思しき人が内部で作業しており、開店まではまだちょっと時間がかかるように見受けた。

入口には、冬の工事現場で作業員が着るような紺の厚手防寒ジャンパー姿の男性がひとり。
内部の作業の様子を伺っている。
つばを後ろ向きにしてキャップを被り、白っぽい作業ズボンのポケットに両手を入れている。心なしか背を丸めているようにも見えた。
この特徴ある姿は・・・・あるいは渡辺氏だったかも知れぬ。
後ろ向きであったため確認できなかった。

この美容院併設喫茶店は、公式には番組の中でも場所は紹介されていない(と思う)ので、具体的にどこなのか詳細な場所を記すことはまだ差し控えたい。
北側に国道が走り、南側の那珂川までは250m程か。周囲の環境は大変素晴らしいところだ。
某入浴施設がほど近いところにある、とだけ記しておこう。西に4kmほどで行けば、そこは栃木県というロケーション。茂木町もすぐそばだ。

この場所は国道沿いで自動車で訪れるにはアクセスが良いが、それしか手段がないかもしれない(路線バスも走っているだろうが、詳細は承知していない)。
なのでこの地域はどこもそうだが、駐車場は広めのようだ。
ちなみにここから最寄りのJRの駅は、『水郡線・玉川村駅』だが東に8kmも離れていて、この駅からの公共交通機関によるアクセスは手段はない。駅前TAXがある常陸大宮駅からでは10km以上離れているのであまり現実的ではないだろう。

開店が正式にプレスリリースされたら、関東の嵐山と呼ばれる『御前山』の観光のついでに訪れてみたらいかがか。
帰りのお土産は、なんといっても『御前山ラーメン』が断然お勧めである。

2015年2月24日火曜日

新ロゴマーク

当ファームのロゴマークを新しくした。
新しいロゴマー入りのラベル
たとえばこんな風に使用する予定だ。
今年の『玉川里山はちみつ』は、このイメージでデビューする。

『玉川里山はちみつ』のラッピングに添付するとこんな感じ
ちょっと高級感が増すのではないかと思う
ちなみにこのラベルカードの裏面はこのようなものだ。
茨城県のイラストに当ファームの位置を示した
                     


ついでに、お遊びで、こんなものを作ってみたのでお披露目したい。
どうですか。。ちょっとオシャレでしょ?

看板

スタンプ
            
実は、後の二つ(看板・スタンプ)は現物は手元にない。
というか実際には制作されていない、まったくのイメージ。パソコンの中だけの存在である。

『玉川里山はちみつ』のラベルなど、ブランディングをお願いしたデザイナーの方が、今回の新ロゴも作ってくれたのだが、そのついでにかようなイメージ写真をもお遊びで提供してくれた。
彼女たちプロデザイナーが使っているPhotoshopという専用ソフトを使うと、あたかも本物を写真に撮ったようなこんなイメージがいとも簡単に作れてしまうという。
デジタルの世界とはなんとすごいものか。デジタルとは対極の生活をしている身には驚愕である。

でもひそかに、いつの日か実際にこの看板やスタンプを作り、掲げたり押したりする日が来たら良いと思っている。

2015年2月16日月曜日

厳寒期のミツバチたち

2月の外気はそれ自体が冷たい。
さらに風が強かったりする日が多い。
そのうえに日差しが弱かったりすると、体感温度が低くなる3要素がすべて揃い、寒さに弱い我が身には余計に寒く感じ辛いものがある。

人と話をしていてしばしば尋ねられることに、『寒くて花も咲いていないいまの時期に、ミツバチたちはどうしているの?』ということがある。
自分でもミツバチを飼育するようになるまでは気にも留めなかったが、確かにミツバチは冬眠でもしているのかと思っている人は多い。

答えは、巣箱の中でしっかりと生活しており、暖かい日には外に出てくる、というもの。越冬中とはいえ、必要な活動はちゃんとしているのである。ただ群れとして生き延びるに必要最小限までハチの数、個体数を減らしている。
個体数は少ないし、活動量自体も少ないこともあって、われわれの目に触れないだけだ。

彼らも花の乏しい寒い時期を生き延びるので、そのために昨年から蓄えてきた食料(蜜・花粉)を取り崩しながら暮らしている。ほそぼそとした窮乏生活のような気もするが、案外リッチな骨休めの期間かもしれない。
巣箱の底板を開けてみると、巣を齧ってこぼれ落ちた細かな巣屑が山盛りになっている。
とはいえ、梅が満開になるまでのあとひと月ほどは、彼らにとって忍耐の時期・試練の時に違いない。
日差しがあり風もなく暖かい日の午後、出入りするハチの姿を確認した。
どこに花が咲いているのか、ちゃんと花粉をつけて戻ってくるハチもいる
巣箱への出入りが全くない時間も多いのだが、そうなると『ちゃんと生きているのか? 逃げられていないか?』と妙に心配になってくる。
すぐに覗いて確認したい衝動にかられるのだが、その気持ちをいつも抑えている。

彼らとて生き物、ちゃんと魂というかココロを持っているので、この時期はかなりイライラしているようなのである。戦闘的と言って良い。ストレスが溜まっているのだろう。
掃除のために底板をちょっと動かしただけで『敵機襲来』とばかりに飛び出してきては襲ってくる。
花の多い時期には、同じことをしてもまったく無視される。大抵は素手で作業しているのだが。。
なので冬に巣箱を触るときには、しっかりとした防御の身支度で臨んでいる。

襲われることがあっても、逆に襲ってくるほど元気でいるミツバチだ、ということでもあるので、妙に安心したりしているのである。
ハチに憑りつかれたこのようなオトコの気持ちは、他人にはなかなか理解できまい。

2015年2月7日土曜日

常陸大宮のアメダスを見てきた

気温など気象観測データは気象庁の『アメダス』というシステムによって計測されていることは皆が知っている。
そして、常陸大宮市に住む人の多くは、『常陸大宮』として発表されるアメダスの場所が旧大宮町市街地から遠く離れた緒川地区の『上小瀬』であることだけは不思議と知っている。
ではあるが、具体的にどこなのかは知らない人がほとんどだ(と思う)。現実的には、みなさん設置位置などはまったく興味がないのだろうとは思う。
               
いつもの癖でアメダスの場所を探した。
おおかた調べはついていたので、その場所を訪ねてみた。
具体的な場所は記せないが、茨城県が管理する某施設敷地の片隅に設置されている。間違いない。シンプルな設備で、間違っても昔の百葉箱などのイメージではない。
場所は南側と東側が急斜面となっている高台の突端(南東角)。見晴らし・日当りは非常に良いロケーションだ。
だが地形的に、ここ上小瀬のアメダスの設備は一般の人が容易にそばまで近寄ることはできない。県の敷地管理者に正式に許可を得ればフェンスまで行けるだろうが、そこまでする人はいまい。
東側の斜面下からアメダス観測機器を望む。
この土手の上は茨城県が管理する某施設のグランドである。









あたかも高部の山城を攻める雑兵・足軽の如く、下の道路から急斜面を登って行くこともできるとは思うが、敷地内への不法侵入となり法的にもマナー的にも問題がある。なので東側の斜面下道路から見上げるのが精いっぱいだが、観測機器は確認可能である。
中央の柱の上部に風向・風速計、その下の逆三角形部分に日照計。
下のほうで筒状のものが右に出ているのが温度計。
左の柱の筐体部分がデータの処理と通信を行っているボックス。
右の柱は電柱である。
雨量計は地面に設置されているので見えない。
上小瀬に設置されているアメダスの種類は、『有線ロボット気象計』 というものであり、降水量、気温、風向、風速、日照時間の5項目を10分毎に自動計測している(気象庁HPによる)。そして我々はこのような形で参照できる(⇒アメダスデータ常陸大宮)

他所設置のアメダスの例からすれば、フェンス内ボックスには『小瀬地域気象観測所』と書かれたプレートが掲げられているはずだ。
(暇と)興味ある方はこの土手下を訪ねてみたら良いだろう。
繰り返すが、茨城県が管理する施設の南東の隅で勝手な立ち入りは不可である。
土手に覆いかぶせてあるブルーシートが目印(GoogleMap航空写真でも確認可能かもしれない)だろう。
あまり通行もない場所で、車一台が通行するのが精いっぱいの細い道。車も止める場所もない。くれぐれも不審者と思われぬよう注意されたい。
               
合併後の常陸大宮市は人口分布的には旧大宮町市街地に半数が集まっている。
なぜアメダス設置が『上小瀬なんだ?』という素朴な疑問は市民の多くが持っていると思う。
・・・・・ただ、これとてどうでもよいことなのかもしれない。
人口密度などは気象観測にとってあまり意味はないはずで、平面的な常陸大宮市の中心は小瀬あたりだろうから、これでよいのである。できるだけ平均的に観測ポイントを配置することの方が重要なのだろう。
ちなみに隣の常陸太田市のアメダスは2か所ある。
実際の設置場所には行ったことはないが、一つは市の北端で福島との県境にある徳田町(旧里美村。花立山や県営里美牧場の近くだ)であり、もう一つは南端で中野町(旧金砂郷村。郡戸小学校があるあたり)とのことだ。
どちらも一番人口密度の高い旧常陸太田市街地からはだいぶ離れている。もしかしたら常陸太田市民の多くもまた常陸大宮と同じような感じを抱いているのかもしれない。

2015年2月5日木曜日

スギ花粉の素

今年もこの真冬の季節は毎日のように山に入り、スギやヒノキの木立伐採に余念がない。
倒したスギの木には、スギ花粉の素となる蕾がたわわに付いている。
花粉が今にも飛びそうな蕾ばかりである。
枝はずっしりと重たい。
我が愛機のチェーンソーが、唸りをあげて杉の木を倒してゆく。爽快である。
花粉症で悩まされている方にとっては、このような写真はさぞや気持ち悪いでものであろう。
一本の木の一本の枝だけでもこれだけの花粉の素がある。この枝から飛ぶであろう花粉も相当なものにちがいない。
それが日本中の杉山から飛びまくるのだから堪ったものではないわなぁ。
・・・・・・幸いに小生はスギ花粉症ではない。なのでまったくの他人事である。

ごくごく僅かでしかないが、花粉の飛散前に切り倒しましたからね。
個人的には、去年よりずっと『豊作』だと思う

2015年2月2日月曜日

高部館跡を訪ねる

常陸大宮市の北西部、美和の集落に『高部館(たかぶだて)』跡がある。
鎌倉末期頃につくられた佐竹一族の戦闘城郭で、中世城郭マニアや佐竹マニアの中では有名である。

この高部館を訪ねるツアーが開かれた。

茨城大学の先生が同行し、専門的な説明を受けつつ歩くツアーとあって、またとない機会であるのでワクワクしながら参加した。
昨年12月に第1回目が開かれ、今回(2/1)は2回目の開催である。前回参加できなかったため今回の参加となった。
この地域の歴史探索ツアーの人気は高く、今回も60人ほどが参加している。
一地方の山城跡を訪ねる内容としては盛況といえるだろう。
集合して係員から説明を受ける参加者。
年配者が多い。
あたりには数日前に降った雪が消えておらず、吹き付ける風は頬を刺す冷たさではあったが、先生に引率された老若男女は二手に分かれ、列を作って山頂の本丸を目指した。
麓から山頂まで説明を受けながらゆっくり登って20分ほどだが、本丸への道は険しく、まさに要害の地である。
山頂付近の曲輪での説明に聞き入る。
攻め入る敵から如何にして防御し攻撃するか、そのための掘り込みや土塁の工夫に皆がうなづく
佐竹氏関連の城・館跡はいくつも訪ねてきたが、この館跡も遺構がよく残されており素晴らしい。
戦闘城郭であるので日常的に居住する空間ではない。攻められた際に立てこもって防戦する『詰めの城』である。
如何にして最後の砦たる本丸に敵を寄せ付けないか、各種工夫を凝らした巧みな作りである。
同じく佐竹一族の山入氏の城である旧水府村国安の山入城、あるいは旧山方町・館にある高館山、旧金砂郷村久米の久米城などの遺構とよく似ていて、自然の地形を巧みに生かし、掘り込んだり土を盛ったりして鉄壁の防御の砦を構築している。
その中でも特にこの高部の地は、佐竹氏と抗争を続けてきた那須氏の領地・烏山に隣接しているので、日々の緊張感は想像を絶するものだったはず。その極度の緊張感がこの館跡には色濃く反映されている。

今は何もなくただ杉林の中に見える地表の凸凹、起伏だけなのだが、これらがその緊張感やらここに集ったモノノフたち郎党の怒号やらのイメージが掻き立てられて、中世城マニアにはたまらないのである。
このような素晴らしい遺構を前にすると、雪が降ろうが寒かろうが、藪だろうが急斜面だろうが、はこの際ほとんど関係なくなる。
雪が残るうえ北風が吹き付けて寒い中、本丸跡で説明を聞く。
今回は読売新聞の記者も同行し取材していた。
果たして記事になったのだろうか。。。
ひとしきり遺構の説明をうけたあと下山。
麓の会場では地元の方による『原木なめこ汁』がふるまわれた。

まだまだ訪ねたい佐竹氏関連の城跡・館跡は多い。
楽しみは続く。
なんとも楽しい半日であった。
         
この山の遺構は数年前までは藪が茂り、歩くのさえ困難だったと聞く。地元高部の『木の駅プロジェクト美和実行委員会』のみなさんが、この館跡の草刈をはじめ歩道の確保のために多大な労力を惜しまずにかけてくださってこのような会が開けるようになった。
ためにこうやってたくさんの人が訪れ、戦国時代のロマンに浸れるわけだ。
有りがたいと同時に、地元を愛し、その魅力をアップさせようとする熱い思いがこの里に溢れているのを強く感じる。
わが東野にある館跡も、このような地元民が積極的に保存維持にかかわり、盛り上げる形になればうれしいと思う。
それにしても、茨城大学の専門家から現場の細かな説明を聞きながら現地に立つということは、理解を深めるに大変役立つ。有りがたい企画であった。単に好きで現地を歩き回っているだけとは訳が違い、いっぺんにアカデミックになる。
今回同行してご説明くださった先生方も専門ということであるので当然かもしれないが、体系的に網羅された城郭関連の知識には敬服する。おのずと説明に力が入るのは当然と言える。
本当に、本当に、失礼な言い方だが、(同類としてのシンパシーを感じたが故に)かなりの『城郭オタク』で『マニア』ではないかなと思ってしまった小生である。