2014年3月4日火曜日

われわれ世代の責任

たしか2~3年前の毎日新聞の読者投稿だったと記憶する。
電車内の騒がしい高校生の行状に出くわした際の心の逡巡と、その背景に関する深い洞察の文章が載っていた。小生と同世代の男性からの投稿で、激しく共感したので良く覚えている。題名は忘れたがおおよそ次のような話だった。
         
高校生が電車に乗り込んできた。やがて始まった彼らのおしゃべり。周囲を全く気にしない大きな声、品性のかけらもない話し方、下劣な内容。
次第にエスカレートするその行状に、隣席の老夫婦が苛立ち、何度か腰を上げそうになるが奥さんがそれを制止する。自分も同様に思いながら、何もできずにいた。


老夫婦は厳しく子供を叱りしつけて育ててきた世代。
彼らの世代に育てられた我々はそうして公共心を叩き込まれた。
この高校生たちの親もきっと自分とは同じ世代。
だが、この高校生は親からも何も教わらずにきてしまっているのだ。


老夫婦世代、我々世代、この高校生たちの世代。この3世代のうちで、一番罪深いのは教えてもらった大事なことをきちんと次の代に伝えられていない我々の世代だろう。
先代までが培ってきたものを使い果たしただけでなく、後世へのツケだけ膨らましてきた我々こそ猛省すべきではないのか。

下車するときに老夫婦に「すみませんでした」と頭を下げた。
         
小生もときどきJRに乗る。
水郡線の列車内でこの投稿主と同じ体験と思いをした。

その日、同じ車両に男女高校生が多数乗り込んできた。
すぐに4~5人の男子高生グループが輪になっておしゃべりを始めた。
その声量は常識を逸し、内容は品性下劣でとても聞くに堪えないものだった。
全員服装はだらしなく、小生のような許容範囲の広い(=つまりは普段は他人の格好の事などどうでもよいと考えるいい加減な)人間にも嫌悪感を抱かせるに十分過ぎるものだった。妙にずり下げたズボンは滑稽でさえある(決してローライズのズボンではない)。下着もマル見えだし、裾はボロボロに擦り切れなんとも汚らしい。加えて、年齢に不相応な大きく厚い札入れ(財布)を尻ポケットに差している。これを格好いいと感じる彼らの美意識が全く理解できない。(ここでは過度の半ケツがどうやら流行りのようだ。・・・水戸近辺・水郡線だけで観察できる珍奇ファッション。同じ常磐線でも東京寄り・石岡以南では見られない)
野卑というか粗野というか、知性をもった生き物とは思えない。
誰にも何も教えてもらってこなかったんだろうなぁ・・、可哀そうな連中だ・・と、不憫に思えた。
あの身なり格好ではまともに学業を修められているとは思えない。
そして、かように見るに堪えない汚らしい姿で家を出てゆく子供に異を唱えない親もどんなものなのだろうと思う。

混雑した車内で輪になって通路を塞いでいる。床に座り込むものもいるし、さらには寝そべったりする猛者までいる(そこが車内トイレの入り口だったりしても構わないようだ)。
傍若無人とはこのことだ。我が物顔の振る舞いが酷い。
他に人がいることなどは頭にこれっぽっちもないらしい。
他の乗客は皆一様に無視を決め込んでいるが、それぞれの顔には困惑がはっきりと出ている。下手に関わるとろくなことはないという大人の対応である。
まともな同世代高校生もまた然りである。彼らを別人種とでも思っているのだろう、距離を置き全く相手していない。

騒がしい彼らに近い座席に座っていたある老女が、携帯電話をいじりながらだらしなく床に座り込んでいるひとりの男子に何やら声をかけた。あまりの姿を見るに見兼ねたようだった。「床は汚いんじゃないの・・」とでも言葉をかけたのだろう。その老女の声に振り向いたようだったが、立ち上るでも姿勢を正すふうでもなく、何の言葉も返さずに、また携帯電話に目をやりいじり始めた。
そこには目上の人に対する敬意などは全く感じられず、老女の存在そのものを意識できていないふうであった。老女の顔は呆れたようにも落胆したようにも見えた。彼の無表情の顔と虚ろな目がやけに印象的だった。

そしてまた女子高生グループも座り込むことを含め似たような行状であり、車内はあたかも動物園の猿山のような状態である。
騒音はどんどんエスカレートする。
目の前に躾のできていない野生猿の群れのごとき集団。小生もいい加減ウンザリすると同時に、堪忍袋の緒が切れそうになる。
うるさいぞ、お前ら。静かにしろ。他のお客に迷惑だろ!!・・・」と。

頭の中ではなんとも勇ましい自分である。
情けないが、何もできない。何も言えない。
昨今、下手に注意等すると刺されたり、殴打されて打ちどころ悪ければ死亡したりするご時世だ。ここは目をつむって耳を塞いで・・・。

いくつか駅が過ぎ、これらの高校生たちは何もなかったかのように三々五々下車していった。車内に静寂が戻った。
実際に声をかけた老女がいてくれたことに救われた気がしたが、それ以上に何も出来ずにいた自分が恥ずかしかった。

恐らく毎日同じような情景が繰り広げられているのであろう。車掌も含め苦々しく思っている同輩は多いに違いない。
我々が列車で高校通学していた時代(昭和50年あたり)にも変なやつはいたが、ごく一部であったと記憶している。
とにもかくにも、今の彼ら高校生世代の劣化が激しい。
         
今やオヤジ・オバチャンとなった我々世代が、社会人となり、子を産み育て、社会の主体となった昭和50年代から平成20年代にかけての30年ほどの時代は、たしかに便利で豊かな世の中にはなった。だが、我々の親世代までたしかに引き継がれてきた素晴らしいものが、この間に急速に失われた(次世代に引き継げないでしまった)ことだけは間違いない。
高校生・大学生など若い者をダメだというのは容易い。だが、彼らをしっかりと教育できなかっただけでなく、巨額の国の借金と高負担(少子高齢化)を積み増ししてきてしまっている我々世代こそが、一番ダメで猛省すべきに違いない。
全く投稿主と同じ思いだ。今更だが、責任は重たい。

さて自分の場合は、わが子に幾許かは何かを引き継げているのだろうか・・。
テレビのバラエティー番組に屈託なく笑っている薄ぼんやりした我が子の横顔を改めて眺めてみたが、自信はない。
世間様に自慢できるほどのものは何も与えられずにきてしまったが、あのような迷惑だけはかけていないようだ。それがせめてもの救いである。
これは某月某日のJR常磐線の車内風景
三者三様に床に座り込みスマホをいじる高校生。
玩具を与えられ、ひたすら遊びに耽る猿のようだ。

●ピンクのパーカー&スウェットジャージ姿の彼女(これで通学しているらしい)
●青リュックで濃紺制服姿の彼女(スカートだったが胡座をかいて座った)
●ドアにもたれかかる彼(一見まともだがシャツは派手な柄物。ズボン裾はボロボロ)
 床の白いゴミもまた彼らの所業。
 先ほどまで大勢の仲間と大声で騒いでいた彼らである。
 奥にいるまともな高校生たちはこの種族とは一線を画し、近寄らない。

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