2011年12月31日土曜日

鰯の頭も信心から

ブログ(12/22 一陽来復 一陽来福)で紹介した穴八幡神社に先日詣でてみた。
場所は東京・早稲田大学の正門近くにある。


         

噂には聞いていたが、すごい人出に圧倒された。
人が狭い空間にひしめき合っている。すごい人気スポットだ。
わが常陸大宮市東野の鎮守である『地殿神社』の100年分の初詣の人出が1日であるようなものだ。あるいはまたJR玉川村駅の1年分の乗降客数以上かもしれない。

これは初詣の行列ではなく、ただ一陽来復のお札だけを求める人の列なのである。
きっと冬至から節分までの毎日がこのような行列なのだろう。

神社は小高い丘の上にある。
丘の下の前面道路からは行列は続き、階段で昇ったところの境内には1列5〜60mほどの蛇行した行列が9列作られていた。
つまり境内まで辿り着いても、お札を頂くまでにさらに450m程度は行列に並ばねばならない。お札を窓口に至るまで600m以上の長蛇の列になっている。
整然と2列に並んで少しずつ進む。
並ぶ人たちは、高齢者が多いようだ。
隣に並んだ杖をついたご婦人は、80歳だそうで毎年この時期にお札を頂きに並ぶとか。
足が悪いので並んで歩かされるのは大変だが、逆にご利益がありそうに感じられてよいのだそうだ。
なるほど、そういうものかもしれない。
信仰心の不思議さである。


         

ここに並ぶ人たちは、皆が金銀融通のご利益を期待しているはずなのだが、すべてが望み通りになるとは思ってもいないだろう。
もうすぐやってくる新年のスタートにあたり、できるかぎり最善の環境を整える(=ご利益があるというこの穴八幡のお札を頂く)ことで、自分自身を納得させるべくこうやって並んでいるのだろう。
初詣も、正月の注連縄飾りも、すべからく同じことなのだろう。
お札を頂く販売所窓口は10用意されていて
人の流れは早い
窓口担当は早稲田の学生さんのアルバイトとのことだ
         

大変な出来事が続いた2011年が終わる。
来年は良い年であって欲しい。
一陽来復の意味には、悪いことが続いた後で幸運に向かうこと、との意味もある。
陰の気がきわまって陽の気にかえる意からだ。

我が家でも今夜貼るとしよう。
なにごとも『鰯の頭も信心から』である。


         

一年間、このような拙い文章をお読みいただき、有難く存じます。

2011年12月30日金曜日

ま? 史? 央?

毎日、凛として冷たく澄んだ青空が広がっている。
先日のことだ。
見上げた青空に、ぽつんとその雲文字はあった。

ひらがなの『ま』とも、漢字の『史』とも、はたまた『央』のようにも見える。
なんとなく読み取れそうな形。
この意匠が面白く、早速写真に記録しておいた。

いずれにしても、やや払いの部分が長過ぎて右下がり。
芸術的な文字かな。
偶然の作り出した自然現象とはいえ、すばらしい。しばし感心した。

         

このような発見はあまり無いかもしれないが、ぜひ空を見上げてほしい。
(・・・明後日の、初日の出の空だけでなく)
青空の時もあるし、曇りの時も、雨の時も、雷雨の時も、霙の時も雪の時もある。
季節の毎に、時間毎に、いろいろな顔を見せてくれる。
都会でも田舎でも。

慌ただしく毎日過ごしていると、季節ごとに空の青さが違うことにも、雲の形や色が違うことにも、きっと気がつかないに違いない。
毎日見比べるてみると、新鮮な驚きの連続であるはずだ。

この自然相手の仕事をしていると、日々空を見上げ天気を窺うことがいわば日課のようになっている。
そこからいろいろな情報を読み取ることは、この仕事のスキルのひとつだ。

どんな生活をしていても、空を見る余裕ぐらいは持ちたいものだ。

2011年12月28日水曜日

常陸秋そば栽培(その10) 石臼で手挽き開始

とうとうというか、いよいよというか、ついに我が常陸秋そばを石臼で挽時くが来た。

蕎麦栽培について、当初よりご指導・ご助言いただいている水府愛農会の和田様から個人的に石臼をお借りした。
さらに最低限必要な篩3種類(40メッシュ/㌅、60メッシュ/㌅、調理用ザル)を、市内の大手ホームセンターYで購入して、そば粉の手挽きの万全の準備を整えた。
お借りした石臼
小型だがずっしりと重たい
(水色テープ部分は欠けたため補修してある)
この夏に種を播いて以来、成長をずっと見守ってきて愛おしくさえ感じる我が「常陸秋そば」の玄蕎麦を石臼に入れる。
感動の一瞬である。


         

木の取っ手をゆっくりとしっかりと回し、美味い蕎麦への思いを込めて石臼を廻す。

カリカリという心地良い響きとともに、石臼の隙間からそば殻と粉がこぼれ落ちてくる。

最終の粉になるまでの感動の過程は、詳細に語るとキリがない。
思い切って割愛する。
ただ、手間と体力(特に右手の力)が、予想以上に必要であったことだけは記しておきたい。

         

経験してみて言えることは、蕎麦好きが嵩じると一種の薬物中毒と同じ(・・薬物中毒になったことがないので推定でしかない)であるということだ。
このような膨大な手間と、時間と、体力(・・プラス出費、プラス家族のやや冷たい視線)は、全く問題にならないし、苦にならなくなるのである。
言い換えれば快感の刹那の連続である、ということだ。
まさに「中毒」である。そしてまさに「虜」に成り下がるのだ。

この、自らの蕎麦栽培・新蕎麦の収穫・石臼手挽きという作業は、あまたの精神異常昂揚者を作り出す。
きっと端から見たら、不思議に思える行動である。
どうにも理解しがたいに違いない。
だが、いざやってみると、頷けるのである。
それだけの不思議な魔力を持った『常陸秋そば』なのである。
だからであろう、主に男性向けの情報雑誌には、この時期しばしば蕎麦特集が組まれる。この病気の感染予備軍はきっと多いに違いない。
この予備軍が、一度でも蕎麦栽培やら石臼挽きやら蕎麦の手打ちをしたら、いとも簡単にこの病気に罹患してしまうのは間違いない。


         

はやる気持ちを抑えつつ、何度も篩にかけは石臼で挽き直して、より細かな粉へと挽き直す作業を続ける。
次第に次第に、実に滑らかな粉が、石臼の隙間からこぼれ出てくる。
しっとりとした、何とも言い難い芳醇な香りが辺り一面に立ち昇る。

粉になって石臼からこぼれ落ちる新蕎麦は、なんとも香しい。そして美しい。
上手い表現が見つからないが、陳腐な言葉・表現をすると失礼ではないかと思うほどだ。
今のインターネットの技術では、パソコンでこの香りまでは伝えられないのが残念である。

この香りが、蕎麦栽培から蕎麦打ちまでを目指すこだわり人を虜にするのであろうと思う。
脳を麻痺させる何か特殊な物質が出ている。
とにかく、とにかく感動の一瞬であるのは間違いない。

細かな目(60メッシュ/㌅)の篩に掛けられたそば粉は、薄緑色だ。
きめ細かくて、しっとりとしていて、握った形が残るほどだ。

挽く前の分量や重さ、製粉後の粉の重ささなどは計測していない(そもそもデジタル計測器が無いのだ)ので、はたしてどれくらいの歩留まりなのかは分からない。もうそんなことは、どうでも良くなっている。

石臼の隙間からこぼれ出てくる粉を眺めるとき、挽かれた粉を篩で振るいながら落ちゆく薄緑色の芳醇な香りを嗅いでいるとき、時を忘れ、些細なことはどうでも良くなる。
とらわれなくなる。
早く、早く、このそば粉で、蕎麦を打ちたい、食してみたい、との思いがいっそう募る。

         

傍から見たら、たかが蕎麦である。
だが、これは魔物。
されど蕎麦、なのである。

どうやら私にも、すっかり中毒症状が出ているようだ。
嗚呼、常陸秋そば。。

次はいよいよ蕎麦の手打ちと、味わいの時だ。
年越しにも十分間に合う。

2011年12月26日月曜日

凍てつく朝に暖を

西高東低のいわゆる冬型の気圧配置、それも北海道の北東部あたりに強烈に強い低気圧が居座る状況が定着している。
この密な縦縞の等圧線になると、北日本や日本海側では大荒れで大雪が続く。
関東地方ではこのようなときはたいていが晴天である。
そしてよく冷え込む。
群馬・栃木の山沿いは別として、平野部では驚く程晴天続きで雪・雨は降らない。
ここ茨城北部も、連日快晴でよく冷え込んでいる。


         

冬に雪が大量に降ると、社会生活の上で各種の支障がどうしても出てしまう。
雪国の方には申し訳ないが、経済活動面でもマイナス面の方が多いのではないかと思う。
(・・・反対に、雪が降る地方にしかない特有の仕事やサービス、があるとも言えるし、雪が降ることでもたらされる豊かな資源・自然の恵みといったプラスの面も確かにあるが)


         

かつて秀吉の差配により、当時としては未開の地・江戸へと国替えとなった徳川家康。
国替えという逆境をバネに、以降この江戸の地の開発に尽力し、政治・経済の中心として発展させた。
でもしかし、国替えを受け入れたというのは家康の素晴らしい慧眼ではなかったかと思う。

後背地として未開で広大な武蔵野の地が果てしなく広がり、すぐ前には江戸湾が広がる。
発展の可能性は極めて大きな場所だ。
さらに水陸交通の至便な場所である。旧勢力のしがらみも少ない。

そしてなによりも、この雪がほとんど降らないというのは幸いであったろう。
とにかく、雪による生活のしにくさ(移動の不自由さ、暖房の必要性、雪降ろし作業など)は、現代でも十分にそうであように、昔はもっともっと切実な問題だったに違いない。
やはり雪で半年近くも社会的生産活動が停滞してしまうのは、影響が大きい。

後に日本がこのように経済的に発展できたもの、徳川家康が雪の降らない江戸に幕府を開いたから、というのもあながち間違いではないのではないか、と考えている。


         

茨城も雪が降らず晴天が続くのは嬉しいが、この中山間地域も朝のうちは地表は凍てつき霜が降りていて、とても寒い。
暖かくなるのを待っていると昼近くの時分になってしまう。

このようなとき、空いた場所で薪を燃やして手軽に(火災には十分注意しながらであるが)暖をとることがある。
薪ストーブという選択肢もある(・・・我が家では薪ストーブを所有していないので、正確には選択肢ではない)だろうが、これは場所が固定されるので、機動性に欠ける。

薪は、必ずしも煮炊きだけに使うものではない。
広い土地を持つ農家ならではの、実に都合の良い暖房システムである。
納屋兼作業場のすぐ外で火を焚く。
燃やしている薪は、写真奥の山から今年の春先に切り出した杉。
十分乾燥していて燃え付きも良い
手が凍えたらそばに行って暖をとる
陽が昇るまでの数十分間燃えてくれれば良い

2011年12月25日日曜日

高島暦

毎年、年末近くになると新聞屋から貰う暦がある。
(都内では配られてはいないようだ。どの範囲で配っているのか基準は判らない)

そう、おそらく一度は目にしたことがあるだろう『高島暦』のダイジェスト版だ。
書店にはもっと分厚くて高価な高島暦が、何種類も販売されている。
今年も貰った平成24年度版の高島暦
これは暦であって、カレンダーではない。 
どこかにいつも掛けておいて見るのではなく、必要なときに開いて見る・参照する・調べるのである。
実にいろいろな情報が記載されている。
都市部の人は農業に縁遠くなったためあまりピンとこないのかも知れないが、農事暦として自然に関する情報が凝縮されているのだ。
日本の気候風土に根ざした、長い間の先人たちの知恵が凝縮されているとも言える。
二十四節季などは、その最たるものではないか。
その季節季節に(農事として)こんなことをしておくと良い、と伝えてくれる情報誌でもある。
 
          

この暦に記されている、毎月・毎日の六曜(大安、仏滅・・・)、十干(甲、乙、丙、丁・・)と十二支(子、丑、寅、卯・・)を組み合わせた干支、九星(一白・二黒・三碧・四緑・・)などなど、これらを体系建てた先人の叡智は、すごいと言わざるを得ない。

ただ、易や、陰陽五行やら風水やらによる方位・運勢などの暦注の項になってくると、一種の信心というか人の心の問題になってくる。
だからといって、非科学的として排除すべきものでもけっしてないだろう。 
なにかしらの統計学的に認められる事象はあるのだろとは思える。

そして大事なのは、信じる信じないは人の心の問題だということ。
信じる人にとっては心で大切にしている領域のことであり、むやみに他人に土足で入ってきて欲しくない場所でもある。犯されたくないものだ。
信じないのもまったく自由だ。
 
          

現代の科学至上の世の中であっても、この種の暦が発行され続けていることが面白い。
やはり人の心の根源的な部分では、何かに頼りたい・すがりたいという部分があるのだろう。
雑誌の占いのページは人気だし、狭いブースで手相やら占星術やらで占い師と対面して行う占いコーナーも廃れていない。
(そういえば、新宿伊勢丹の軒下にいたあの有名な『新宿の母』はどうなったのだろうか?)

そしてまた、いまの時代でも葬式をわざわざ友引の日に出す人はいないだろう。
結婚式をわざわざ仏滅の日を選んで挙げるひとも(少)ないだろう。
やはり何かしら忌み日は避けたい、あるいは吉日を選びたいはずだ。
だが、大安の日に結婚式を挙げたからといって絶対離婚しないという訳でもない。
大安吉日に宝くじを買ったすべての人が高額金額が当たるはずもない。

つまりは、こう考えるのが妥当なのだろう。
物事のスタートにあたり『少しでもいい環境にしておく』ことが重要な意味を持つのであって、そのための最善を尽くすひとつとして『吉日』を選ぶことなのだ、ということだ。
自分としてはできうる最大限の努力をしたのであるから、あとは運を天に任せるしか無い、と。
そうすれば仮に良くない結果になったとしても、できるだけ良い環境にしたのだから・最善を尽くしたのだから、と自分を納得させ、諦めさせられる。

おそらく、昔は人間が生きて行く上で想像以上に厳しい環境があり、いろんなことで『諦める』ということがどうしても必要なものだったに違いない
たとえば、病気で乳幼児の死亡が多かったこともあるだろう。親はどれほど深い悲しみに慟哭したことか。
天変地異・異常気象が起こり、不作や飢饉がしばしば起こったこともあるだろう。 
百姓は、打ち拉がれ、明日に絶望したことも多々あるに違いない。

しかし苦しみ悲しみながらも人は生きてきた。その度に立ち上がってきた。
きっと諦めることによって次を目指し立ち上がらねばならなかった、悲しい歴史が積み重なっているに違いない。
東日本大震災も、そんな出来事のひとつではなかったか。
今日(12/25)、TBSで放送された『報道の日2011』の震災の特別番組を見て、改めてそう思った。

今の農業では、そこまでの悲壮感は無いにしても、どうせ畑に種を播くのならぜひ豊作になるよう、祈る気持ちで種を播きたい。
特に自然相手の農業や漁業は、運を天に任せる部分が大きいので、何かに頼りたいのである。 
実に素朴な人の心の発露であり、原始宗教の原型だと思う。

信じたから、また頼ったからといって、別に損も害もない。
ならば信じたほうが、精神は休まろう。
この暦の価値はこんなところにあるのかもしれない。


あまり聞き慣れない二十八宿だ。
いろいろなことに吉凶が定義されている。
ただ知らなければ知らないで済む話なのかもしれない。
家相には一理ある気がする

2011年12月23日金曜日

冬の味覚の代表 ハクサイ

親類から、立派なハクサイを頂戴した。
我が家の今年のハクサイがあまり振るわないので大変有り難い。

         

大振りでしっかりと身が締まったハクサイは、久慈川の縁の肥沃な畑で栽培しているということもあるのだろうが、それよりも親類の叔父が夏の時期から丹誠込めて育ててきたことが大きく、いわばその結晶としての『作品』であるといって良いだろう。
ハクサイに限らず野菜一般の作物は、投下した愛情に比例してきちんと立派に育つものだ。

この畑のハクサイは皆が立派に結球し、外葉が霜に当たり茶色に変色してきている。
このハクサイは逐次収穫するものであるが、一般には収穫を遅らせるものについては外葉を藁で縛り結束することで葉の劣化を防ぐようにしている。

ハクサイを頭の部分から下に押してみて、固いようであれば収穫のタイミングである。
そんなハクサイは茎の下部を鎌で刈り取り持ち上げると、ずっしりと重たい。
内部の葉が大きくなってギュッと締まっている証拠だ。
叔父が丹誠込めて栽培したハクサイは、ずっしりと重たいものばかりだ
ハクサイは、鍋によし、漬け物によし。
そして炒めてよし、煮てよし。
甘味がありクセがなく、淡白な風味が持ち味の野菜。
自己主張をしない。故に、他の食材との調和が実に良い。
しかもビタミン豊富。さらに廉価ときている。
まさに冬の野菜のチャンピオンである。

         

今回はハクサイとともに、ネギも頂戴した。

外葉は霜に当たり溶け出した
無農薬だから虫食いの跡が随所に残る
掘り上げたネギは根が密に生え揃っている。
良く育っている証拠だ。
白い部分もしっかりと太く、固く締まっているネギ。
なんとも美味そうである。


         

このような旬の採れたて野菜(しかも無農薬)をしっかりと食べていれば、自ずと身体は健康になるはずだ。
どんな鍋にでもハクサイとネギは欠かせないアイテム。
これからの寒い季節、鍋の出番は増えそうだ。

2011年12月22日木曜日

一陽来復 一陽来福

今日は冬至。
蘊蓄など語らず、つべこべ言わずに柚子の香を鼻腔で愉しみ、単純に柚子湯に浸かるべし。
「冬至」は「湯治」に通じるとだか・・・
「柚子」は「融通が効くように」とのゴロ合わせからだとか・・・
東京・早稲田の穴八幡宮は一陽来復のお札、隣の放生寺は一陽来福のお札、それぞれ冬至の日から頂ける、だとか・・・。
・・・もうそんなことは、どうでもよろしい。
鼻の下まで湯に浸かり香りを楽しんでいると
ついウトウトとしてしまう。
素晴らしい日本版アロマセラピーだ。
一陽来復の日。。ゆったりと柚子湯に浸かれるこの平凡な日常に感謝だ。
日本ではいろいろ不幸なことがあった今年である。来年は世の中が良い方向に向かうといい。
さあ、明日から少しずつ昼が長くなるぞ。

柚子摘みし 時より待ちし 此の日哉 (eb) 
鼻先に 柚子当たり覚む 仕舞風呂 (eb)


         

※ 一陽来復(「大辞泉」より)
1 《易(えき)で、陰暦10月に陰がきわまって11月の冬至に陽が初めて生じることから》陰暦11月。または、冬至。《季 冬》
2 冬が去り春が来ること。新年が来ること。「―の春」
3 悪いことが続いたあと、ようやく物事がよい方に向かうこと。「―を願う」

※※ 東京早稲田にある穴八幡とすぐ隣の敷地にある放生寺では、冬至の今日から節分までの間、金銀融通のお札が頂ける。穴八幡のお札は『一陽来復』だが、放生寺では『一陽来福』となっている。このお札を冬至の24時に壁の高いところに奉る(=貼付ける)のだそうだ。穴八幡『一陽来復』・放生寺『一陽来福』