2015年7月15日水曜日

高温、高湿度

今年の梅雨は雨が多いのではないか。ずっと雨空だったり台風が幾つも続けて来たりで雨量は充分だ。
少しの雨であれば、ミツバチたちは野を飛び交い、せっせと花蜜を集める。

花から吸い取ったばかりの蜜=花蜜は、糖度が40%程度と言われている。この状態でも甘いのは甘いが、半分以上は水分といえる。
花蜜は、ミツバチの体に一時的に蓄えられて巣箱に運ばれてくるのだが、この過程でミツバチの持つ酵素と混ざる。さらに巣にいる内勤のハチに口移しで蜜を引き渡すのだが、この過程でも酵素が混ざり合う。その後に内勤のハチにょって巣の中に蓄えられる。

内勤のミツバチたちは羽で風を送って、巣の中の蜜の水分を蒸発させる作業に勤しむ。
そうやって次第に糖度が80%程度まで高まってゆく。

いまはまさにその最盛期だ。
巣も順調に大きくなってきており、巣箱の中はミツバチたちがぎっしり。内部の温度もかなり高い。
実際、観察窓を手で触ってみるとポカポカしていてる。
そのうえ、水分が盛んに蒸発するので内部の湿度はかなり高くなっていてる。

せっかくの観察窓も、曇ってしまい内部が全く見えないことがしばしばである。
巣箱内部の壁面も、床板も水滴でびっしょりになっている。木の板であるから吸湿性はあるはずだが、それでは収まらないほど水分が付くため濡れてしまうようだ。
湿度は如何ばかりか。
人間の感覚では環境的には最悪のように思うが。
せっかくの観察窓も水滴がついて中が見えない
(この写真の巣箱は昨年からの入居しているもの。巣の長さが50センチほどに伸びている)
製品としてハチミツと表示して良いのは、法律により糖度が78%以上と決められている。
この春以降に貯めた蜜は、目下、巣箱の中で熟成段階といったところだろう。

上記写真の巣箱は昨年からいるハチたちのもの。
最上段は昨年春に作られた巣の部分で、蜜は十分に熟成している。昨年のハチミツ採集の時点ですでに糖度80%を計測している。
巣も下に大きく伸びてきたので今月中には採蜜したいと思っている。
一方、今年の4月~5月に入居して巣作りを始めた群れの蜜は、まだまだ当面先のハチミツ採集となる。8月終わりごろになるだろうか。
今年は全部で4群のハチミツ採りとなる予定であるので、なかなか忙しい夏になる。

2015年7月12日日曜日

杉ヒラタケ?

林の中に立つ杉の大木に白いものが付いている。
近寄ってみるとキノコである。
異様に大きく、とても触る気はしない(・・当然食べる気もしない)。
カサの裏側の襞が妙に大きい。いったい何モノなのだろうか?
古く朽ちかけているような切り株や倒木に生えるキノコはあまたあるが、この杉の木は古い木とはいえ、立派に生きている木だ。

ネットで調べても今一つはっきりしないが、同じようにこの種のキノコに出会って疑問を持った方が居られる。(→参考ブログ)
『○○らしい』の域を出ないが、どうやら『杉ヒラタケ』らしい。

かつては食べられるキノコとして扱われたようだが、今では農水省から食べるのを止めるようにお達しが出ている。

それにしても、キノコは食べられるのと食べられないものの判定が難しい。
キノコ料理は出汁が出て美味いのは承知しているが、生命の危険まで賭して食べるものでもない。こうやって『サバイバル能力』が退化してゆくのである。

子供のころは秋口に雨が降った後などは山に入り、判定が容易なシメジ・チチタケ・ハツタケ・ホウキタケなどを探して歩いたものだ(マツタケはこのあたりの山には生えない)。
山が荒れて立ち入りが難しくなったことこともあって、キノコ狩りをしなくなって久しい。キノコといえばスーパーで手軽に買えるシメジ・エノキタケ・マイタケ・シイタケ・・・となってしまっている。
これも文化といえば文化だが。

2015年7月9日木曜日

ボリジ開花中

4月の上旬に種を蒔いた『ボリジ』(別名 ルリジサ)が、いま花の時期を迎えている。
ブルー(・・・この花のブルーをマドンナブルーと呼ぶようだ)の星型の花が次から次へと咲く。

ミツバチの蜜源によいらしいとの情報から思い付きで種を蒔いたのだが、花の見た感じもなかなか良い。よく見ると確かにミツバチや蝶が群がっている。

Wikipediaによれば、(Wikipedia → ルリジサ)、この花は食用・薬用である。
食用としては、スープやサラダの付け合わせに用いる。
薬効としては、人を奮励させる強壮効果があるらしい。『人を勇気付けるという効果は決して思いこみではなく、現代的な科学によって、恐怖やストレスに対してアドレナリンを分泌させ、鬱などに効能があることが確認されている』とある。
この花の存在価値はミツバチだけでなく、人にもありがたい植物と見える。

まだまだ心も体も薬効に頼る必要はない、などと思いこんではいるが、老眼鏡を掛けた方が文字は見やすいし、物忘れも多くなった。疲れの取れ具合も10年前より各段に悪くなっている気がする。よしやるぞ!!の気合いもだいぶ薄れてきていてすっかりヘタレなわが身である。

Wikiでは、ワインに花を入れて飲むと気力が湧いてくるとある。これだと晩酌でできるではないか。さっそく試そう、花が咲いている今しかできないからなぁ。
(・・・この種のやる気であればすぐに湧いてくる)。

2015年7月6日月曜日

初夏に見るベイビーたち

辺りを見渡すと、いろんな植物たちのベイビーを見つけられる。

ベイビーその①  栗の花が終わり、実が形を現した。まだイガも柔らかい。
 ベイビーその② 大豆の芽である。先日播種した豆が発芽して土中から顔を出した。


ベイビーその③ 水芭蕉の芽。  ただ、確信が持てないでいる。
  先月、水芭蕉の種を一部採ってきてこの間の中に浮かべた。実生の実験である。
  写真撮影のため、目印にと細い草を芽(と思われる)の部分に当てた。
  大きく拡大したのがこれ。外に置きっぱなしの缶であるので他の植物の発芽かもしれぬ。
実生の水芭蕉は花が咲くまで4~5年かかるという。
気の長い実験ではあるがなんとも楽しいではないか。

2015年7月4日土曜日

夏分蜂の群れが入居した

今日、ニホンミツバチが新たに巣箱に入った。これで今年度6度目となるミツバチの捕獲。上出来だ。

先日、出入りしていた杉の丸洞型待受箱ではなくて、全く違う場所の巣箱に、知らない間に入居した。
梅の樹下の待受け箱(M003)に入っていた
昨日、この箱の周囲を草刈りした際には全く出入りはなかった。前触れはまったくなかった箱である。何が気に入ったのやら。。
今日の昼過ぎにたまたま覗いたら盛んにハチたちが出入りしていて、ビックリだ。
花粉を持ち帰るハチもたくさんいる
観察窓から中を覗くと、天井から黒々とした蜂球が見える。
観察窓から見ると、すでに1段が埋まりそうな気配
巣箱1段がハチたちで埋まりそうであるので、かなりの数の群が入ってくれたようだ。
いま飼育中のいずれの巣箱もハチの数が減った様子はないので、我が家の巣箱から分かれ出たハチではなさそうだ。どこか他所から飛んできて入ってくれた群れらしい。
すっかりあきらめていた時期のラッキーな分蜂群捕獲で、うれしさは格別だ。
これで今年の捕獲は6回目となったが、これまでに翌日に逃避が1群、消滅してしまったものが1群あるので、まだまだ油断できない。
慎重に様子をうかがいタイミングをみて、正式な巣箱へと巣箱を積み替えするつもりだ。

探索蜂らしいハチが時折出入りしている空巣箱が他にもいくつかある。
このような、いきなり入居みたいなことがあると、次もあるかもと期待してしまう。
・・・これだからタマラナイ。
こうやってどんどん深みにハマってしまっているのを、しっかりと自覚している。

2015年7月3日金曜日

玉川村駅と山方宿駅 開設当時の写真

大正11年(1922年)12月10日に、小生が愛してやまない『玉川村駅』が開業した。
大郡線(現在の水郡線)・常陸大宮駅~山方宿駅間が開通した日である。

この時、当時の鉄道省が『大郡線常陸大宮山方宿間開通記念絵葉書』を作っている。
その絵葉書が我が家の奥から出てきたのでここに紹介したい。
開業当時の『玉川村駅』と『山方宿駅』の写真であり、貴重なものだと思う。
(現在では玉川村駅と山方宿駅の間に『野上原駅』があるが、この駅は昭和31年の開設であるのでこの時点では存在していない)
         
まずは、記念絵葉書が包まれていた包装紙から。
この包み紙の裏面が次の写真。
路線図と建設工事の概要がかかれてある。

絵葉書は玉川村駅のものと山方宿駅のものの2枚組。
上が山方宿駅のもの、下が玉川村駅のもの。
拡大したものを見てみよう。
まずは山方宿駅。おそらく南側から北側を撮影したもの。右のホーム側に駅舎が立っている。
同じ絵葉書に映っているもう一つの写真は、山方宿駅南側にある枇杷川の上の大築堤の写真だ。
この部分は下の田んぼからはずいぶん高くなっている。さぞ土盛りは大変なことだったろう。

次に玉川村駅。駅前の広場から駅舎を写している(南西から北東方向)。
まだ駅前広場は整地が済んでおらず凸凹だ(写真撮影したのは開業の前だから仕方ない)。
この駅舎は平成8年まで存続したが、取り壊されて現在の駅舎に建て替えられた。
この駅舎を知る小生にとっては、なんとも懐かしい姿だ。
もう一つの写真は次のものである。
おそらくここ、國常神社の南側から北東方向の撮影だろう。カーブしている部分だ。この線路の先はすぐに枇杷川の大築堤となる。
         
絵葉書は未使用で、表面はこのようなもの。
一番下の文字は『片岡写真研究所謹製 鉄道省東京建設事務所発行』とある。
         
この記念絵葉書と合わせて保管されていたのが、水郡線敷設に尽力した衆議院議員『根本正(ねもとしょう)』からの年賀状。我が家のご先祖様が頂いたもの(写真は一部加工してある)。
根本代議士からの手紙も多数残っているので、ずいぶんと懇意の間柄だったようだ。

さすが根本代議士はアメリカに留学していただけあって、英語で『I wish you a Happy New Year 1923 Sho Nemoto』と記されている。わがご先祖様は英語の素養はなかったはずなので、ちゃんと『謹賀新年 大正12年1月1日』とも記してくれてある。

ちなみにこれらの葉書は、我が家に保存されている他の古文書類とともに、常陸大宮市の文書館に委託し古い時代の資料として目下、調査・整理中である。

2015年7月1日水曜日

木天蓼の葉

山の中に白い花が咲いているように見える木がある。
下の写真の中央部分がそれだ。
ちょっと遠目の写真で分かりにくいが、実際には目にすると濃い緑の中にくっきりと白い部分が映えているので、良く目立つ。

近くで見るとこのようなものだ。

この白いものの正体は、それは花ではなく枝の一部の葉が白いものだ。
白い斑(ふ)が入っている。もっと近寄るとこのようなものだ。
見事に色素が抜けているのである。

木全体の葉が白くなるのではなく、枝の先っぽ部分だけの葉が白くなっているようで、なんとも不思議である。
実際に、この木は梅の花のような小さな白い花が咲き、実もなるのである。花は白い葉に隠れるように咲いていて見えにくい。
実は小振りのキウイフルーツといった実だ。
しかも、このような白い葉=斑入りの葉は花が咲く時期だけしか見ることができないときている。やがて緑色に変わるのだ。
         
木の名前は木天蓼(もくてんりょう)という。
もっと知名度が高い名前は『マタタビ』である。そう、あの猫にマタタビ、のマタタビだ。
完全に当て字だが、PCで『またたび』と入力して変換キーを押すとちゃんとこの漢字に変換される。

我が東野地区の山では目にすることはないの自生していないと思われるが、もっと西部の山間部に入った御前山地区、小瀬地区、美和地区では自生する木が大変に多く、今の季節には数多く目にすることができる。

半分蔓性で、自分だけでは自立できない。ほかの木に寄りかかって伸びる、なんとも情けない木だ。
マタタビの実は猫が大変好むのは良く知られているところだが、枝も猫は大好きだ。
我が家の山にも植えるべく枝を折ってきて刺しておいたら、あくる日には猫の餌食になっていたことがある。
マタタビが自生する環境は、(失礼ながら)場所的に猫がなかなか立ち入らないほどの山の中なのだろう。
花が咲いている今だけの白い葉。見られるのもあとわずかだ。