2013年9月7日土曜日

太陰暦と二十四節季はスマートな(賢い)ものだ

例年以上の手刈りを強いられている稲刈り。
今日もフルで倒れた稲と格闘した。

特に我が家では、コンバイン(正確には自脱型コンバイン。刈取りながら脱穀が出来る機械)というものが無いためと、農協に刈取り作業を委託するという事もするつもりがないため、バインダーという刈取り機械で刈り取っている。
その稲束はオダ掛けして天日で自然乾燥させている。
そのオダ作り、オダ掛けという作業も必要となっている。
刈り取る作業だけでも大変なのに、これらの追加の作業は疲れた身体にはたいそうしんどい。(コンバインではこの作業工程がないので楽と言える)

         

今日は兄弟夫婦が稲刈りの応援に駆けつけてくれた。
おかげでかなり捗った。
嬉しくもあり、実に有難くいいもんである。
普段は遠くにいて全く違う生活をしていると言うのに、こうやって実家を『忘れずにいてくれる』・『大変な時に応援してくれる』というのは。
人数が多いとこの手作業中心の作業はペースが早まるので精神的に楽だ。
それに今日は秋の気配を感じさせるような一日で、照らず・降らずで、余分な体力を消耗せずに済み助かった。
とはいうもの、身体は既にヘトヘト。すがにこの作業が毎日続くと疲労は蓄積する。
この作業の一部でも画像で紹介したいのだが、あいにくと写真が無い。

いつもは常にカメラと携帯電話はポケットに入れているが、この稲刈り期間中だけは持ち歩いていないようにしている。
大量にかく汗や突然の降雨で濡れてしまう危険あり・ポケットが膨らんでいると体を動かすのに邪魔だ・取り出した時に泥の中に落とす危険性あり・常時泥だらけの手なのでこれらに触れない・そしてこれが一番の理由だが、そもそも写真を撮る余裕があまり無い・・・などの理由で持たない。

いつもは『感動の瞬間は突然やってくるのでカメラは肌身離さず』という信条でいるのだが、これは肉体的にも精神的にも余裕があるときの話だ。
と言う訳で、稲刈りの様子はあまり写真で紹介できないのが残念だ。

         

夕刻、田んぼからの帰路にソバ畑の様子を見た。
白い花が少しだけ咲き始まっていた。
カメラ無しのためと、夕方だいぶ暗くなっていたので、写真は撮れていない。
画像は明日以降に紹介したい。

種蒔き時のブログ(2013/08/15 ブログ)では、9月10日頃には咲き始めるだろうと予測した。
少しだけ早いがほぼほぼ合っている。
植物の芽吹き・開花の必要日数などは初歩的なものだが、自然の摂理というのはなんと正確なのだろうか。毎年毎年きちんと繰り返されるので、生活のパターンが自然と出来上がる。
昔は太陰暦を中心にして、二十四節季を生活の節目としたのも頷ける。
こんな農的な生活をして行く上では、決して古びていないね、太陰暦と二十四節季。
自然の変わり様を実際に体感すると素直に納得する。

今日は『白露』。大気が冷えてきて露が出来始める頃とされる。
陰気ようやく重なり、露凝(つゆにご)って白し。〜『暦便覧』

そういえば、朝は草木に露がびっしりと付いている。我々がよく使う言葉で『露(つよ)っぽい』というやつだ。
本当は、太陰暦や二十四節季って先進的でスマートじゃないか、やっぱり。

2013年9月6日金曜日

稲穂たちの声なき声

こんなに手刈りしなければならない稲刈りも初めてだろう。
豊かな実りで稲穂が重たいから、という理由もあるが、田んぼの土が泥のままであるのに追い打ちを掛けるように局地的豪雨が降り、突風も吹いたりする(・・この辺りでは竜巻の発生はないのは幸いである)日が多かったので、どこの田んぼでも稲が倒される被害が出ている。
近所のこの田んぼなどはほぼ全面倒伏状態である。
ミステリーサークルならぬミステリーストリーム被害・・といった感じだ。
とにかくバラバラの方向に倒されて、稲穂が水に浸かっている。
こうなるともうお手上げだ。
この状態では稲刈り機が使えない(無理に使うと茎が曲がっているので束がメチャクチャになってしまう。ほぼ寝ている茎などは機械が掬い上げきれないので稲が泥にのめり込み収拾付かなくなる。結局、手で一株ずつ手刈りするのが折角ここまでになった稲に対する愛情とというものだろう、と思う。)。
例年にない範囲の手刈りを進めているのだが、既に茎が水に浸かって久しく、もう茶色く変色してきている部分が目立つ。発酵寸前の臭いも。

そんな稲でも、刈り取って束にして畔に並べておくだけで、急速に乾いてくる。午前中に刈ったものも午後にはかなり乾いて本来の稲藁らしくなるのである。
匂いも本来の稲藁のなんとも言えぬいい匂いになる。豊穣の香りだ。
こんな姿を見て嗅覚を刺激されると、倒れたままで水に浸かった姿からやっと解放され嬉しがっているような気がしてならない。稲にも生命が宿っていると感じてしまい、感情移入してしまう。
片や、倒れて変色したままの稲が隣にまだまだ多数ある。
早く、早く・・・と稲の声が聞こえるような気がする。

かなり無理して手で刈り・手で縛る作業を続けているので腕が、指が、腰が、痛くてたまらないが、早くなんとかしてやりたいと思ってしまう。
我ながら、つくづくこの世界が好きなんだなあと思う。

明日も天気が悪い予報が出ている。雨の中での作業になるだろう。
また作業が遅れてしまうが仕方ない。
あとあと一週間はこんな日々が続く。

今夜も金スマ・ひとり農業が放映されるようだ。
しばらく現場を訪ねていないが、渡辺氏の田んぼの稲はどうなのだろう。
ちょっと気になる。
恐らく彼の稲刈りは周囲の農家がほぼ終わった頃になるだろうと思う(例年通りであれば)。
我が家の稲刈りが終わったら、ちっょと覗いみよう。

2013年9月4日水曜日

2013年 稲刈りを始める

『うまいんだなぁ、これが』などと言いってほろ酔い気分の間にも、激しい雨は降るし、雷も鳴り、突風も吹く。

今日は朝から雷が鳴り響いた。午前中には強い雨も降った。
このような状況である。やはり稲が倒されてしまっている。

このままいつまでも穂が水に浸かっていると発芽してしまう。
刈取り、急がねばなるまい。

午後からは少し晴れ間ものぞいたため、田んぼの水は気になるものの、今年度の稲刈りをスタートさせた。
本音を言えば、天候が安定して晴れが続き、もう少し乾いてから始めたかったが仕方ない。
この程度であれば機械で刈れるが、もう少し倒れ水に浸かると手刈りするしかなくなる。
天を仰ぎながら、時間との勝負になる。

稲が倒れている方向は必ずしも同じではない。
明日の天気予報も雨である。とにかく刈り取ってオダに掛けてしまわなければ。
なんとか刈取り始まったものの、手で刈る部分も多い上に、ぬかるむし、やはりやりづらい。
稲の束はずっしりと重たい(豊かな実りでと言うことも多分にあるが、この場合は濡れていて更に重たい)。
乾燥して作業をし易い時と較べると、投下労働力は3倍程増という感じだろうか。
自然相手の仕事は、つべこべ愚痴を言っていても始まらない。

時折来るにわか雨をやり過ごしながら、なんとか暗くなるまでに目標面積はクリアした。

明日の天気予報も余り良くない。
明日もまた、田植え以来のゴム長靴を履いて、泥だらけになりながらの稲刈り作業となるのだろう。

美味い麦種は夕餉にて賞味する事とする。

2013年9月3日火曜日

うまいんだなぁ、これが

かつて和久井映見さんが某ビールメーカーのCMの中での言った言葉だ。
簡明直截な表現で実にいい。
なつかしい映像 YouTube  → CM サントリーモルツ総集編

午前中の作業でドッサリと汗をかき、シャワーを浴びて、ランチ前に冷えた極上の一缶を冷蔵庫から出す。
いつもの発泡酒ではなく、頂き物のPremiumMalt's缶を開けて、ググッと喉に流し込む。
水分を欲している体中の細胞が歓喜の声を上げている。
理屈抜きにして『うまいんだなぁ、これが』

まだまだ暑い日中。午後の仕事は日差しが弱まってから。
ほろ酔いの体(てい)で扇風機の前でくつろぐ。
しばし極上のまどろみの時間である。

ごめんなさい、サラリーマンのみなさん、こんな生活で。。。。

2013年9月2日月曜日

2013年度の『玉川はちみつ』について

昨年の9月1日、残暑が厳しいなか、ニホンミツバチの巣箱を開けて初めてのハチミツ採取をしたのだった。
初めての挑戦ではあったものの、ぎっしりと詰まった巣に、蜜がこれまたぎっしりと詰まっていて、最終的に3500gもの『玉川はちみつ』か収穫できたのだった。
2012年度の玉川はちみつ
ハチミツを採取した以降も、ハチ達は活発な活動を続けてくれ、冬の寒さもなんとかやり過ごし、今年も春・夏と飛び回っていた。
そんなハチ達の姿をほぼ毎日のように観察しつつ、時折巣箱の内部撮影をしたりして、今年の採蜜のタイミングを見計らっていた。

ちょうど1年経った今日(9/2)、天井版を外して巣の様子を直接観察した。
屋根を外した状態。天井板の隙間からミツバチが手は入りしている。
これが上から見た内部の状態の写真だ。
今年の巣箱の最上段
ハチの姿が少ない上に、巣自体も小さくて貧弱だ
蜜が詰まっている様子はまったくない
(2013/09/02 撮影)
底板を外して底から写真を撮っての定例観察の際に、ハチの数が昨年に較べてずっと少ないと感じてはいたが、思っていた以上に少ない。
それに巣が小さすぎる。蜜が詰まっている巣は確認できなかった。
あまりのスカスカに愕然とした。群れの勢いが弱すぎるようだ。
理由はともあれ、とてもハチミツを採れる状態ではないことは確か。

昨年の最上段の様子(次の写真)と較べれば一目瞭然だろう。
昨年の巣箱の最上段はこんな具合に詰まっていた
(2012/09/01撮影)
この状態でハチミツを無理矢理に採取するのは可哀想だし、採れたとしてもごく僅かだろう。あまりに虐めすぎるとハチの大脱走にも繋がりかねない。
ということで、今年度2013年度の『玉川はちみつ』の採取はしないということにした。

         

昨年の『玉川はちみつ』は親類中心に配布し、大好評だった。
果樹園にお越しのお客さまからもぜひ購入したいとのご予約も、早くから戴いていた。

残念だが、次の機会まで待っていただくしかない。
申し訳ないがなにぶんこれも自然相手のこと。致し方あるまい。

来年、乞うご期待です。
(来年に採れるという保証もないのだが。)

このような結果で一番悔しくて残念な思いをしているのはワタクシである。     ・・ orz

刈取り前の田んぼでイノシシが・・

間もなく稲刈りが始まろうとしている田んぼは黄金色だ。
なんとも良い眺めである。
この風景を眺めていると3月末から始まった作業の数々の苦労を忘れてしまう。
作業の大半を農協等に委託してしまっている農家でも、体に染み付いている感覚は残っているはずで、思いはきっと同じであろう。
敷島の瑞穂の国だ
谷津田にある田んぼも同じような実りの時期を迎えたのだが、困った事にイノシシが田んぼの中を行進したり、転げ回ったりしたようで、ランダムに稲が倒されるという事態が起こっている。
何が目的なのか、何が楽しいのか。はなはだ?????なのである。
この田んぼは山間の狭い場所。イノシシがしばしば出没する。
ミミズをほじくって畔が破壊されることも多い。
ヒエも多数生えてしまうが、キレイな水だけで育てられる貴重な田んぼだ。
動かぬ証拠。ヒヅメの跡もくっきり
稲が風で倒されるのも困ったものだが、コイツらに荒らされ倒れるのも困りものだ。
これまでも何回も畔をほじくられズタズタにされてもきた。
コストをかけての対策などしたくないので、これはこれとしてヤツラと対峙し付き合うしかない。
と理性的には思うのだが、本当はコンチクショーで、ブチ殺してやりたい、が本音ではある。
本当は実にケチクサイ狭量な人間なのだ。

2013年9月1日日曜日

MEGA QUAKE

NHKがシリーズで放映している『MEGA QUAKE』という番組がある。
  HPはこちら →  NHKスペシャル MEGA QUAKE

昨年3月〜4月にそのシリーズ1を、同4月〜6月にシリーズ2を、今年の4月からシリーズ3の4回を放送してきている。
今日9月1日がシリーズ3の最終回である。
関東大震災からちょうど90年のその日にあたる。

このシリーズを毎回逃さずずっと見てきたが、いまの我々の科学の知見を動員しても大地震の正確な予知は不可能という事、やがては必ず起こるという事、日本はどこにいても揺れる(被害に遭う可能性がある)ことを改めて思い知らされた内容だった。

自分だけは大丈夫・生き延びられる、などというまったく根拠のない自信を持っているひとも多いようだが、いつどこでどの程度の規模で起こるか分からぬのだから当てにはなるまいに。

かくいう茨城北部を震源とする地震はまだときどき発生している。
少なくなってきているとはいえ、やはりこの番組のような理論的で説得的な解説と映像で迫られると心底怖くなってくる。
南海トラフ大地震も現実的になっているしなぁ。
『天災は忘れた頃にやってくる』とは寺田寅彦の言葉たったか。。

大事な事だが、非常事態が起こってしまったら生き延びるためのノウハウはスマホは教えくれない。通信インフラも電気も止まってしまったら、ただのガラスの付いた金属箱でしかない。

何が正解かは分からぬが、田舎での『不自由を敢えて受け入れる生活』の方が生き残る基礎能力は磨かれる気がするのだが、どうだろうか。
基礎能力だけではないな、生活のインフラ(井戸水もPLガス設備も薪も、食料生産できる田畑も)が揃っている。
それらを活用する力、これは慣れと経験だ、があれば生きて行ける。
個人的にだが、ここで生活しているかぎり生き延びられる自信は十分にある。(根拠あり)