2013年8月12日月曜日

月下美人

月下美人(げっかびじん)なる植物がある。
不可思議な花の咲き方をする。
ありふれた樹ではないのに加えて、その真っ白で繊細な花は夜に開き始めて朝にはしぼんでしまうという性質なので、なかなかその開花している姿を実際に見ることは少ない。
同じ市内の伯母の家で育てている月下美人は、毎年数多くの花をつけているのだが、いままで見るチャンスを逸し続けていた。

         

『今夜開花しそうなので見に来ないか』とのお誘いを夕方に受けた。
かねてより花弁が広がって行く様を時間を追って観てみたいと思っていた。
ワクワクしながらお邪魔し、2時間程観察してみた。

この種類としては大きな樹らしく、樹高は3メートル超ある。
そしてまさに開かんとしている真っ白な蕾は100以上はあり、壮麗である。
昨年の開花時には、某大手Y新聞の取材を受けたという樹であり花である。
月下美人の全体の姿。最上部は軒を突いている。
左手のライトに照らされて明るいが20時の状態。
まだ開いていない状態だ。
20:00の状態
開口部は広がりつつあるが、まだ蕾んだ状態である。匂いもほとんど感じられない。
だが、これが2時間経過するとこのように開く。
同じ花の22:00の状態
この状態にまでなると何ともいえない強い香り(不快なものではない。芳香である)を発するようになる。
まさに色白で名前の通りの美人の花だ。

あと1〜2時間もすればもっと開き、直径20センチ程にもなるようだが、深夜にかかるためここで御暇(おいとま)させていただいた。

         

なんとまあドラマ性のある花だろうか。
・暗くなると咲き出し、夜遅くに満開となるという神秘性。
・一晩で萎んでしまう短命性。
・見ていても分かるかもしれないほどの開花時の運動性。
・花が開いたとき短時間だけ香るという芳香性。
・下を向いていた蕾が開花直前には上向きになり膨らみ始め、ほぼ全ての蕾が一斉に咲き出す律儀さ。
・純白で繊細な花弁。
・希少性。
いろいろな俗説が生まれる訳がこのへんにある。
『新月の夜にしか咲かない』やら『すべての月下美人は同じ日に咲く』やら『1年に一度しか咲かない』など。Wikipediaによればどれも俗説とのことだが。
いずれにしても目の当たりにするとちょっとした感動ものである。

         

常陸大宮市では一部に雲がかかって『ペルセウス座流星群』の天体ショーは楽しめなかったが、かわりにそれに優る地上のショーを満喫したひと時だった。

※夜も遅くなったし、アルコールも入った状態でいることから、『結果美人』やら『欠課美人』、『月火美人』、『激化美人』、はたまた『月下比人』などの恥ずかしい入力ミスがないことを十分に確認して からこの文をブログ後悔( 8/14訂正 後悔→公開 )することにする。

2013年8月10日土曜日

頭垂れ始める

厳しすぎる残暑。
猛暑日が続く。
暑さにげんなりしてうなだれているのは人間だが、むしろこちらは十分な気温と日照を喜んでいる。

いずこの田でも稲の穂が膨らみ、頭が垂れ始めている。
順調に行けば来月初には刈取りとなる。

暑さの中に、はや秋の気配いである。


2013年8月8日木曜日

トウモロコシの粒の数は必ず偶数らしい

日経HP中で面白い記事が目にとまったので紹介する。
トウモロコシの粒の数は必ず偶数である、というものだ。
ホントかいな?? と半信半疑で読み進んだ。

どうやらホントらしい。
詳しくはこのリンク先を読んでその理屈を納得していただきたい。
日経記事リンク先 ⇒ 本日入荷 おいしい話  『トウモロコシの粒の数は必ず偶数? 数えてみた』
    
日経の電子報道部の河尻氏は実際に2時間かけて数えたらしい。
とても検証したいとは思わないが、こんどトウモロコシにガブリと齧りつくときには思い出してしまうだろうな、きっと。少なくともワタクシは知らなかった事実だ・・。
皆さんもまた、他人につい話したくなるネタ話がひとつ増えたのではないだろうか。
君にそんなヒミツがあったなんて知らなかったヨ

2013年8月6日火曜日

古代ハスの花托(かたく)

初めて開化した大賀ハス。
濃いピンクの花が青々とした田んぼの中で精彩を放ち、道行く人の目を楽しませた(に違いない)。
そんな花の命も3~4日ほどだ。

7月末に開化した花びら(花弁)は既に散り、今は2番目の蕾が花開こうとしている。
花弁が散った後には、見事な花托(かたく)が姿を現した。
花托
花托はさらに大きくなり成熟して褐色化するようだ。
その中に硬い果皮を持つハスの実がある。
引き続き観察を続けるつもりだ。
種(実)の採取、播種、発芽に挑戦、さらに増やして栽培・・・。
また挑戦することが増えてしまった。
ボーっとしている暇がない。
既に花托となったものと次に咲こうとしてる蕾
万緑の風景の中を水郡線の列車が走り抜ける

2013年8月4日日曜日

墓なぎ

まもなく盆を迎える。

我が家を含む一族は、昔から盆の一週間前にあたる8月7日に『墓薙ぎ』を行ってきた。
墓薙ぎとは、つまり墓の掃除である。
墓所を同じくする一族同姓の各家が集まり、一緒に墓地全体を掃除するのである。
同じ姓を戴く一族・親類とは言っても、何代も経てしまうと知った間柄であってもなかなか顔を合わせることがない。数少ない顔合わせの場でもある。

高齢化が進んで参加できない家が出てきたことや、各家の諸事情(勤め人であるとか)により、8月7日という固定した日に墓薙ぎをすることが難しくなったこともあって、8月の第一日曜日に行うように変更になった。
その掃除日が今日(8/4)だった。

この『墓薙ぎ』というキーワードをネットで検索しても茨城・栃木あたりの方のブログに少し出てくるぐらいであまり話題には上っていない。
もしかしたら全国的な風習ではないのかもしれぬ。

だが、墓を持つどこの家でも盆の前には(一斉にやるかどうかは別として)墓掃除はくらいするだろう。
風習、精神文化の違いは多少あっても、墓を掃除するという行為を通じて、遠い祖霊や亡き近親者を偲ぶというのは日本人にとっては普遍なのではないか。
8月の暑い最中の墓掃除には、特別な意義があるように思う。
ニイニイゼミの鳴き声は暑さを増幅させている

2013年8月3日土曜日

野鳥の楽園

我が家近くの溜め池には、多くの水鳥が憩う。
ここは適度に管理された溜め池であるし、程よい広さ、水深も都合が良いのだろうと思う。
人家も近いのだが、周囲には葦などが生い茂り、身を隠すに最適の場所もある。
それにエサとなる水中の小動物が多いことも理由のひとつだろう。
中でも一番多いのはショクヨウガエルのオタマジャクシ。
とにかくやたらと数が多い。気持ち悪い程いるのである。
あれだけいれば、鳥達もエサには苦労しないと思う。

         

毎日目にするのは、カイツブリ。
警戒心が強いため近づくとすぐに水中に潜りなかなか出てこない。岸の草むらの中に巣を作っているようだ。

アオサギも毎日飛んでくる。
水面から突き出た枯れ木の枝に止まっていることが多い。
アオサギも警戒心が強い
人の気配を察知すると大きな羽を広げて飛び立ってしまう。
コンパクトのデジカメであり望遠機能があまり良くない。
どうにも画像が不明瞭であるのは致し方ない。

この他に、写真はとれていないが鮮やかな青い羽を持つカワセミもときどき姿を現す。
どこか近くに巣があるようだ。
そして種類は分からぬが、カモもときどきやってくる。
カルガモのようだが、正確には分からない。
真っ白い痩身の小サギは最近あまりやって来ない。ここにアオサギがしっかり居着いているからだろうと思う。

不勉強ながら、良く目にする鳥だけでもこれだけの種類となる。
いろんな生物が憩う水辺である。

もっと勉強すると野鳥の種類も分かってきて面白いのだろう。
そして奥の深さに目覚め、ハマって行くのかもしれない。
プロ顔負けの機材を揃えて、いつ来るとも知れない野鳥をひたすらじっと待つマニアが多いのも頷ける。

         

本来の農業用水としての実利的な面も確かにあるが、このような溜め池のような小振りなものであっても、眺める人間のココロも落ち着かせる不思議な効果がある。
風景としても実に良い。
鳥達にとっても生活の場。
これぞまさに『楽園』であろう。

2013年8月2日金曜日

極端気象

山陰や北陸、東北地方の一部で大雨が降っている。
連日のニュースで流される土砂災害や浸水被害の映像も酷い。
更にはこれらの被害に遭ったばかりの地に、追い打ちを掛けるようにまた雨が降っている。とんでもない、たいへんなことになっているようだ。
今年から使われている表現『これまで経験したことの無い豪雨』と言う言葉も、気象庁がいまの気象状況に対して危機感を抱いている現れだろう。

大雨の地方がある一方で、太平洋側では雨が少ない傾向にある。
このような極端な大雨と小雨が隣り合わせの局面と言うのは、昔からあったのだろうが、近年は特に激しいのではないか。
このような極端気象、これも異常気象なのだろうか。
(今後ますますひどくなり)後になって『やはりあの頃が転換点だった』といわれることがないことを祈りたい。


              
いま田んぼの稲は出穂期(しゅっすいき)にある。
まさに穂が出て、花が咲き受粉が開始されている時期だ。
穂が出て花が咲いている
雨が続いて日照が不足したりすると収穫に大きく影響する。気温が低くても病気が出て収穫が減る。
日照と気温が重要な時期だ。

当然、稲が水に浸かったり泥をかぶったりしても影響は避けられない。
水害のひどい地域の稲作農家がインタヴューに答える姿は痛々しく、同情を禁じ得ない。
防ぎようが無い天災ではある。

かように農業は、天候リスク・災害リスクがある。
不安定な部分は確かにある。でもそれでも向かい合って生きねばならない。
第一に自らの生活の糧ためだが、国民の大切な食料確保のため、国土の保全・環境の保全のために、という意味合いも多分にある。

東北地方・北陸地方の梅雨が開けて日照が戻り、豊作となることを望んでいる。