伯母は大正9年1月の生まれで、先日満97才の誕生日を迎えたばかり。ほぼ一世紀の激動の時期を力強く生き抜き、静かに旅立った。
葬儀はJAの葬祭場にてしめやかに執り行われた たくさんの花に囲まれた祭壇と伯母の遺影 |
大正十年前後に生を受けた伯母たち世代は、大東亜戦争と終戦の時期にちょうど二十歳前後にあたる。大変な時代に青春を過ごした人たちである。悲しいことに同年代の男子は戦死した人たちもきっと多かろう。伯母の場合も、そんな時代に結婚・5人の子育て、そして家業の農作業と、それはそれは苦労の連続だったはずだ。気丈で健康な伯母ではあったが、数年前から脚だけは弱ってきて市内近くの介護施設で生活を送っていた。耳が少し遠くなった程度でボケることもなく、趣味の俳句・短歌を詠んだりしながら過ごし、誰しも百は十分に超えられるものと思っていた。だが、昨秋に脳梗塞を患い意識がはっきりしない状態となり、そのまま亡くなった。家族に温かく見守られ、大切にされて、九十有余の天寿を全うした幸せな伯母だったのではないかと思う。
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昨年夏に、介護施設の伯母を訪ねて採集したばかりのはちみつをプレゼントした。小生のはちみつをとても気に入ってくれていて、常食していると聞いていたからだ。その日も、いつもの笑顔でたいそう喜んでくれた伯母だった。
そしてこれは、今日葬儀の後にご家族から伺った話。
伯母は脳梗塞で脳の大半は既に不全状態となっていて口を利くことも目を開くことも無く、家族の呼びかけに反応したりしなかったりの容体だったという。であるにもかかわらず、亡くなる数日前にはちみつを口元に持ってゆくと(・・・おそらくは無意識で条件反射的にだろうが)口を動かして美味しそうに舐めて、ビックリした、と。
わが『玉川里山はちみつ』に、脳梗塞のような重篤な病を治癒する薬効などは無論ない。だが、いつも食していたはちみつの不思議な甘さが、最期が近づいて意識さえはっきりしない伯母の心をささやかだが満たしたのではないか。そう思うとなんだか嬉しい。
はちみつには、人の脳の深層部に直接作用するような奥深い不思議なパワーが秘められているのかもしれない。脳の深い部分で記憶した美味しい記憶は、人を幸せにする(・・・に違いない)。
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