2016年3月6日日曜日

玉川村駅近くにあった小山医院の話

今日も一日暖かかった。
このまま春本番に突入してしまい、桜でも咲いてしまうのではと思わぬでもない陽気である。
我が愛してやまないミツバチたちは、季節到来とばかりに実にあわただしく巣箱の離発着・出入りを繰り返している。なんとも嬉しくなる眺めだ。

本日は、3カ所・9台設置してまわり、ほとんど1日掛かった。
ここまでで、どうにか8割方設置し終わり、やっと着地が見えてきた。
このような暖かい日が続くといつどうなるか(いきなり分蜂は起こる)分からぬので、設置は早いにこしたことは無い。
                                           
きょう巣箱を設置した近所のSさん宅で、興味深い話を聞いた。
Sさんは(数年次下だが)ほぼ同年代で、同じ小学校に通った仲でもあり、昔の話は大体共有できるので、あれこれ昔話に花が咲いた。

玉川村駅にほど近いところに、かつて『小山医院』(おやまいいん)という小さな診療所があった。
医師一人だけの田舎の個人病院である(恐らく看護婦は奥さまが担当していた)。
小山医院の建物は如何にも個人医院という作りだった。屋根の形も正面入り口のガラス扉も、昭和の時代を色濃く映していたものだ。
まだまだこの辺りの人口も多かった時代であり、地域医療を担う施設として地元住民からは頼られ、また愛されていた存在だったのではないかと思う。
(余談だが、そこの小山先生は玉川小学校の校医でもあったので、小学校で集団予防接種を受ける際には注射は必ず彼であった。遠い昔の話で小山先生の記憶はそれぐらいしかない。容姿はおぼろげだが、やや小太りで禿げ頭だったような気がする)

小山医院の近所でもあったSさんが語るには、小山先生はミツバチを飼っていて医院の裏には巣箱がいくつも並んでいた、とのことだ。この話は初めて聞く内容でたいへん驚いた。このエリアでミツバチを飼っていた人がいたというのも驚きだし、医者である小山先生がというのも驚きであった。小生の通学路側からは巣箱は見えなかったのだが、Sさんの通う道からは医院の裏が見えたようだ。

小山先生がミツバチを飼っていたという行為は、単に個人の趣味というだけではない、もっと違う狙い・期待があったのではあるまいか。
ハチミツが秘める素晴らしい薬効を、小山先生が医師としての立場でどのように考えていたのかは知る由もないが、多分になにかしら気付いていたのではあるまいか。
いずれにしても実に興味深い話である。
あの先生も分蜂時期にソワソワしたり、突然逃げられてがっかりしたり、ハチミツにうっとりしたりしていたのだと思うと、実に可笑しい。
                                           
小山医院は地域人口減少による環境変化を迎える前に、突然閉院してしまった。昭和40年代半ばのことだ。何か特別な事情があったのであろう。これもまた知る由もない。

1 件のコメント:

  1. 小山さん何にかけてもペニシリン。バイクで来てペニシリンの注射をして帰るから「くまんバチ」と言われた。懐かしい。

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