ある方が撮影していたものだが、懐かしさのあまり再撮影させてもらった。きっと運動会か何かの時の撮影だろう。
小生が在校していた頃とは花壇の様子が多少違うものの、正面の姿はそのままま。
あの頃は何も特に感ずるところがなかったものだが、学校名が変わり(玉川小学校 → 大宮北小学校)、校舎姿が変わってしまった現在、このような画像を見ると無性に懐かしくなる。きっと同じような感慨にふける御仁も多かろう。
いまにもオルガンの伴奏で校歌が聞こえてきそうではないか。
♪その名もゆかし 玉川の ~
玉川小学校 校歌 |
玉川村駅舎もそうだったが、昔の木造建築物には古き良き時代の独特の臭いがあった。
大子町にある旧『上岡小学校』の木造校舎ほど趣こそ無いにしても、玉小卒業生としてはいつまでも残してほしかった建物だ。
ついでにこの写真もアップしておこう。
何でもない校庭の写真だ。左側の石碑(記念碑)はそのままだが、このバックネットも運動具倉庫も、桜の老木も今はない。
(玉小 メモ) 開校して143年経つのだった
明治6年 東野小学校 開校
明治17年 第二番区東野小学校と校名改称
明治20年 東野・八田・照田・西塩子・小野の連合小学校となる
明治21年 新校舎建築なる(現建物の北側の畑の場所)
明治22年 玉川尋常小学校となる。若林に分教場を設置
明治23年 小学校令改正により玉川第一尋常小学校となる。
分教場独立によりふたたび玉川尋常小学校となる
昭和13年 現在地に木造校舎新築落成
平成22年 玉川小と塩田小が統合して大宮北小となる
もっと古い玉川小学校の木造校舎をアッブしたい。昭和12年10月21日の上棟式の写真だ。紋付き袴姿の難しい顔のオジサンたちに交じって、キリッとした女教師と思しき姿もある。
掲載されている玉小100年史によれば、玉川村は財政的に苦しかった村だったので新校舎建設に当たっては相当苦労したとある。校庭の東端に立つ石碑(記念碑)はそのときに村内有力者から寄付金を募り、寄付してくれた人の名を刻んでいる。それぐらい教育にかける熱い思いが詰まった校舎なのだった。
玉川小学校100周年記念誌から |
私は40年3月卒業。本当に懐かしい。
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