一般的に広く使われるようなものではない。
これは『西金工事用臨時列車』の略である。
西金とは水郡線・西金駅のこと。
つまりは西金駅から運行される工事用の臨時列車のことで、通常は赤いディーゼル機関車が上皿付きの黒い砂利運搬車両を牽引している列車だ。沿線住人であればたいてい目にしているはずだ。
西金とは水郡線・西金駅のこと。
つまりは西金駅から運行される工事用の臨時列車のことで、通常は赤いディーゼル機関車が上皿付きの黒い砂利運搬車両を牽引している列車だ。沿線住人であればたいてい目にしているはずだ。
西金駅は極めて小規模の駅であるが、その筋のマニアの間ではつとに有名である。
旅客駅としては1日の平均乗車人数は60人程(2005年の統計:Wikipediaによる)の小さな駅だが、ここは砂利・砕石の積み出し駅として有名だ。
(⇨西金駅が開設に至るまでには紆余曲折があって地元民の大騒動があった。水郡線の数多い駅の中でも特異な駅だろう。この話はまた別の折りに記したい)
(⇨西金駅が開設に至るまでには紆余曲折があって地元民の大騒動があった。水郡線の数多い駅の中でも特異な駅だろう。この話はまた別の折りに記したい)
鉄道マニアでも『撮り鉄』の人たちにとっては、これらの車両に砕石を積むべく操車場で作業している場面や、編成車両が久慈川沿いの山裾を走る姿はどうにもタマラナイ絵であるらしい。
撮影ポイントを探して線路脇の山に登ったり、久慈川の川縁に立ったりと涙ぐましい。
撮影ポイントを探して線路脇の山に登ったり、久慈川の川縁に立ったりと涙ぐましい。
我が玉川村駅も通過(下り11:29 上り15:16)するので、この列車が間近で見られる。
ただ必ずホキ800形を牽引しているとは限らないが。
あまりに見慣れてしまっていて特別な感慨はないのだが、すぐ目の前を赤く巨大な鉄の塊が力強く通り過ぎるのは、やはり迫力がある。
西金工臨 上り 野上原〜玉川村間 今日も砕石(バラスト)が何処かへ運ばれて行く (水郡線は上りの列車はほぼ順光で撮影できる) |
西金工臨が運んだ西金産の敷石・砕石(バラスト)は、水郡線を始め関東各地において鉄道レールの下に敷かれている。
西野内の採石場のものと合わせて、奥久慈産の石が各地のレールをがっちりと支えているのである。
さらにこの周辺から採取された砂利(山砂利・川砂利)は、首都東京の戦後の復興期あるいは高度成長期において、道路建設用・建物建築用の資材として、そのかなり需要を賄ったという。
特に1964年(昭和39年)の東京オリンピック関連の工事においては貢献大だった。
(このことは、昨年2013年1月〜3月に常陸大宮歴史民族資料館で開催された企画展『常陸大宮の地下資源 〜 地域を支えた宝物〜』にて知った)
東京がいまのあのような近代的な姿に変貌できたのも、『西金』があったからこそともいえる。
『西金』なくして『東京』なし。すごいじゃないか『西金』。
西野内の採石場のものと合わせて、奥久慈産の石が各地のレールをがっちりと支えているのである。
さらにこの周辺から採取された砂利(山砂利・川砂利)は、首都東京の戦後の復興期あるいは高度成長期において、道路建設用・建物建築用の資材として、そのかなり需要を賄ったという。
特に1964年(昭和39年)の東京オリンピック関連の工事においては貢献大だった。
(このことは、昨年2013年1月〜3月に常陸大宮歴史民族資料館で開催された企画展『常陸大宮の地下資源 〜 地域を支えた宝物〜』にて知った)
東京がいまのあのような近代的な姿に変貌できたのも、『西金』があったからこそともいえる。
『西金』なくして『東京』なし。すごいじゃないか『西金』。
願わくば、そんなRespectの目で水郡線・西金駅を通過する時(JR利用の場合)、国道118号線で西金駅脇を通過する時(自動車の場合)、西金駅とその川向こうの採石場とを眺めてやって欲しい。ただし、西金駅側の地上からでは採石場の様子はほとんど見えないのが残念ではある。
GooglMapの航空写真で見ると、南北500m、東西400mほどの巨大な採石場であることがわかる。あたかも外国の露天掘り石炭鉱山のようだ。
GooglMapの航空写真で見ると、南北500m、東西400mほどの巨大な採石場であることがわかる。あたかも外国の露天掘り石炭鉱山のようだ。
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