2022年2月14日月曜日

風は冷たくとも陽射しは確実に力強く

毎週のように南岸低気圧の通過で雪が舞う。日陰では前回降った雪が融け切らないうちにまたの降雪だ。まだまだ寒い2月ではある。

ではあるのだが足元を注意深く見ると、凍てついた地面からスイセンの目がぞっくりと頭を出してきているのが見つけられる。中にはすでに花が咲こうとしているのもある。地中とは言えだいぶ寒い(冷たい)はずだが、どのようなセンサーがあって芽を出したり花を付けたりするスイッチが入るのだろうか。土中温度の変化しか思いつかない。少しずつ強くなってきた太陽光が地面を照射して土中温度が徐々に上がってきて、閾値をこえたら・・・くらいしか考えつかないが、彼らの備えている季節センサーはブレることが無く、毎年きちんとこの時期になるとこのように芽を揃える。素晴らしいの一言だ。春が確実に近づいているのを実感する。

四季折々の変化に合わせて発芽したり花をつけたり実を結んだり、枯れたり。自然のサイクルは単純な繰り返しだが、人知の及ばない植物の持つ神秘的な領域だ。間もなく梅や桃、来月には桜が咲くが、現在の技術をもってしても人為的にこれらの花を作り出すことはできない。せいぜい出来るのは季節を誤魔化すことで樹木に季節を勘違いさせて花を咲かせることくらいだ。

ネコヤナギも開花

梅も一輪

その流れでいうと、人間の都合で旬の季節を無視して育てられる野菜(冬場のキュウリ・トマトなど)はちょっとかわいそうである。さらについでに言うと、熱い寒いの自然影響を遮断して生産する現代農業は、本来の露地栽培では不必要な莫大なエネルギーを投入して、自然に負荷を掛けている。昔から太陽と水と土でシンプルに続けられてきた農業の姿とはだいぶ遠ざかってきている。だんだんと本来の自然の姿から遠ざかることは農業の原点からも遠ざかるということ。どこかに無理を強いていることではないのかな。農業本来の姿が消費者から見えなくなってきているのではないかな。消費の都市部生活。そのニーズに合わせて無理する生産農家。それって果たして全体として幸せなことなんだろうか。

人知を超えた何かしらの大きな意志に従って人目に付くこともなくただただ芽を出し、花を付けるスイセン。それを見ながら、シンプルに「限りある人生、はたして幸せってなんだろ?」って思う。

(甘っちょろい空想的理想論で観念的な話であることは百も承知。だが、普段からこのようなことを考えているかどうかで日々の行動のありようもまた変わってくると思っているのだが)

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