2018年8月26日日曜日

JΘMΘN

10,000 Years of Prehistoric Art in Japan  JΘMΘN

いま東京国立博物館で開かれている『特別展 縄文1万年の美の鼓動』(2018/7/3~9/2)を見てきた。この手の考古学関係の特別展はなかなか見ることができない貴重な出土品が全国から集められるのでなんともウレシイ。国宝指定されている土偶・火焔型土器が6点が揃って見られるというまたとない機会。暑さなどものともせずに上野の森に急いだ。
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大学生の時分には(専攻したのでははないが)考古学にのめり込み、アルバイトを兼ねた発掘作業に長期休みのほとんどを費やした。さすがにあのころほどの情熱はないにしても、今でも我が家近くの土器散布地の畑を通るたびに落ちている土器片が気になって仕方ない。
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薄暗い館内に展示されている土偶と土器たちとの静かな対面。
・・いやはや、圧巻である。
大学生の時に遺跡から掘り上げていたごくごく一般的な縄文中期土器とはまったく別物だ。芸術品であり、なんとも美しい。ため息が出る。
本来、土器は貯蔵や煮炊きするための実用品。そこでは機能性がもっとも重視されるものだが、国宝指定の新潟県十日町出土の火焔型土器(チケットの写真の土器)などは、非実用的な美術品の極みであって、機能性は感じられない。細部までの丁寧な工芸としての作り込みがなされていて、作った縄文人の器用さにただ驚く。
おそらく見てもらうためのもので、当時の美意識の塊りではないかしらん。これらの華麗な土器を専門に作る職人、つまりは今でいうところの芸術家が多数居たに違いない。
展示品のどれをとっても驚きでしかなく、縄文時代の高い精神文化に触れた思いだ。

・・縄文時代はけっして、毛皮のパンツを纏い、槍をもって動物を追いかけていた、ウッホウッホといった未開の原始人イメージの人々ばかりではない。
ネアンデルタール人のイメージではないし、まして『はじめ人間ゴン』ではない。
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厳しい環境下で生活をしてきた縄文人たち。自然災害にも病気にも、ただ祈るしかなかったに違いない。非実用的な土器装飾、デフォルメされた土偶は祈りの際の道具なのだろう。いまのような便利で快適な時代の感覚ではなかなか理解できない、常に死と隣り合わせで精神のベースに深い悲しみがあってこその真摯な祈りの象形だろうか。深いものだ。

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