大きさは大小さまざまで、水源としての大きな川が無いこの付近は昔から農業用水の確保に難儀してきたため、先人たちは苦労の末に地域で谷津に貯水池を作り管理し、水田を維持して来た。
溜め池は第一義的には農業用の貯水が目的だが、屋敷の近くにそれがある場合には生活施設の一部となる。と同時に日常に潤いを与えてくれる存在となる。
汚れた農機具を洗うのは、まず溜め池でだ。子供の頃は溜め池で釣りをすることは愉しみの一つだった。最年とみに飛来が増えて来たカモなどの水鳥の遊ぶ姿を眺めていると、心が休まる。水辺には、ショウブだったりスイレンだったり黄ショウブだったりが咲いて彩りを添える。このように溜め池は里山風景のワンポイントとして大切なアイテムだ。
だが、いま溜め池が危機に瀕している。
耕作放棄の田んぼが増えたこと、つまりは農業を続ける人が減っていることから溜め池の重要性が低下して久しく、この間に多くの溜め池で維持管理が放棄された。そのため周囲が酷く荒れ果てて、溜め池の底は泥で埋まり、貯水能力がほぼゼロになった溜め池も数多い。
我が家の近くの溜め池はどうにか管理維持しているものの、泥が溜まり続けて水深は極端に浅くなってしまった。
と同時に、土手が崩落して周囲の土地を浸蝕してしまっている。酷い状況だ。
子供の頃に釣り棹の台にしていた水面に突き出た杭も、ずっと昔に土留めに打ち込んだものだったと聞く。当時は土手から1メートルほど離れた水面に程よい高さで出ていたので子供の釣りには重宝だった。
その杭が今では土手から2メートル以上離れた場所になってしまっている。この40年ほどで土手は1メートル以上崩れたと言うことになる。
次写真の中央右の水面に出ている杭がそれだ。
Before ( 2015/4) |
溜め池自体は市の管理物だが周囲の土地は私有地なので、公費で大規模・本格的な修繕工事は無理とのこと。市役所と相談の上で、恒久的な造作とはならない土留めの普請を自前で(=個人で)行うことにした。
かつての土手の位置近くに杭を打ち込み土嚢袋を重ねて土手を築く『溜普請』である。
幸いに、近くに我が家の山があり運び込む土砂は十分に確保できるし、運搬距離も短くて済む。昨年暮れからぼつぼつ開始して、時間を見つけては作業を続けてきた。
バックホー(パワーショベル)で山肌をあらかた削り、スコップで土嚢袋に土を詰め、運搬機で運ぶ・・を繰り返した。
寒い時に最適な作業である(・・・・すぐに息の上がるハードな運動だ)。
打ち込んだ竹杭およそ100本。積み重ねた土嚢およそ200袋。運び込んだバラ土は50㎥以上にもなろうか。
素人の行った普請だが、どうにか形になってきた。
(文章にするとこれだけだが、どれだけ大変な労働であったことか)
After (2016/2) |
ご先祖様がずっと守ってきた溜め池を荒れるに任せるのは精神的に耐えられないから続いている面もあるが、楽しいからということでもある。
こうやって里山ライフは続けられて行く。
普請範囲は総延長40メートルほど |
昭和40年代後半に手前のコンクリートの部分は作られた。 当時の岸から土手はかなり浸蝕されて後退している。 |
埋め立てに使う土砂は、谷津田に向かう山道の斜面を削り取った |
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