2022年4月23日土曜日

常陸村田駅を知っていますか?

少々、古き良き時代の話を。

玉川村駅を含めた水郡線の常陸大宮駅~山方宿駅の区間は、今年の12月に開業100年を迎える(大正11年12月10日の開設)。玉川村駅も100回目のアニバーサリーだ。

開業当時の玉川村駅
開業時に制作された記念絵葉書より

記念絵葉書はこの2枚(常陸大宮市文書館蔵)
上が山方宿駅と枇杷川の築堤
下が野上原から枇杷川築堤に向かうカーブ部分と玉川村駅

絵葉書の包み紙
(常陸大宮市文書館蔵)
   
この一世紀にわたり地域の大動脈となり数多くの通学生・通勤客と貨物を運び続けてきた。沿線が隆盛を極め一番輝いていたのは昭和初期から昭和40年ころまでだろう。沿線人口も多く、マイカーの普及までにはまだだいぶ時間があった。野上原駅などは地域からの駅設置の強い請願もあったようで昭和31年に開設されているくらいだ。

玉川村駅は近隣周辺町村(大宮町の北部地区・御前山村・緒川村・美和村)から水戸市内に通う通学生や通勤客が多数いたので、昭和50年頃までは駅前には何軒もの自転車預かり所があって、いずれも満杯の自転車が預けられていたのをよく覚えている。いまは預かり所はなく、ほんの数台の自転車が駅備え付けの駐輪場に止められているだけだ。通学生は昔に比べ激減し朝の上り列車に乗るのは数えるほどだが、今はそのほとんどが親の運転する自動車で駅に送り迎えしてもらっている。なので朝夕の駅前は(少しだが)渋滞する。日中の乗降客は皆無に等しく、朝夕以外は人影さえまばらなきわて静かな駅周辺だ。

このような状況が今後も続くのは確かだろう。(常陸大宮までは沿線人口はまだある方なので線路としては残る可能性は高いが、)もしかしたら玉川村駅は廃駅になるのではないかと心配してしまう。一番可能性がありそうなのは代替バス路線への転換かもしれない。百年にしてこのような状態になるとは、この地に鉄道を通すことに心血を注いだご先祖たちは夢にも思ってもいなかっただろう。

このような状況だが、毎日決まった時間に汽車が通過することがここで生活する人々の精神的な支えだったり安心だったり、少しの誇りであることも確かだ。「しゃーねなぁー」などと愚痴りながらもWe love Tamagawa-mura Stationなひとたちが多数いるのである。

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余談だが、水郡線には開設されてから数年で廃止された駅がふたつほどある。どのような経緯で開設され廃駅に至ったのかは残念ながら手元に情報がないのでわからない。ただ開設には地元の人たちの熱い熱い情熱があったであろうことは想像がつく。だがいまは駅があった面影さえない。

ひとつは常陸鴻巣駅と瓜連駅との間にあった『常陸中里駅』。水戸から15.7km付近。昭和10年開設されたが昭和16年に廃駅。

瓜連駅のほど近い場所だ
おそらく駅舎はなく単式ホーム1面の駅だったろう

ふたつめは静駅と常陸大宮駅の間にあった『常陸村田駅』。ちょうど第二下村田踏切がある場所だ。水戸から20.4km付近。昭和10年開設で昭和19年廃駅。

静駅と常陸大宮駅の中間あたり
ここも駅舎はなく単式ホーム1面の駅だったろう


栄枯盛衰。これらの駅自体にも、付近住民にも、いろんな思い・悲喜こもごものドラマがあったはずだが皆遠い昔。語られることもない。

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