2016年6月12日日曜日

ラベンダー

ミツバチの巣箱を置かせてもらっている家のひとつの、あるおじいちゃんはとても元気だ。とはいえ、体力的に重労働は無理な歳で、本格的な農作業は既に完全リタイアし隠居生活にはいっている。自慢の庭木の手入れに余念がない。おじいちゃんが手入れしている庭のラベンダーはいま満開で、いい香りを漂わせている。むろんミツバチも来花している。
多くの人はラベンダーと聞くと、北海道の富良野を連想するだろう。ファーム富田はとくに有名で、規模も設備もサービスも一段上を行く。花の季節に訪れたことがあるが感動ものだ。
数株のラベンダーではあのような広大な花畑はなかなか連想しにくいが、紫色のかわいらしい花が初夏の風に揺らいでいる姿は心和む。

巣箱の様子を見に訪問すると茶飲み話にふける。このおじいちゃんは昔の話しをよくしてくれる。戦前・戦中・戦後の変わりゆくこの地域の農業を身をもって経験してきた当事者でもあり、(控えめな自慢の話と)苦労話になるのが常だ。けっして難しい話はしないが、含蓄のある話がたくさん聞ける。生きるための知恵や農業を通じて自然と対峙する厳しい姿勢は永年の苦労で磨かれ鍛えられたもの。話はときに哲学的である(と勝手に思っている)。
                                          
脚本家・倉本聰氏は、ドラマ『北の国から』について自伝エッセイの中で次のように述べている(とネットで知った。最近発刊されたようだ)。
  都会は無駄で溢れ、その無駄で食う人々の数が増え、全ては金で買え、
  人は己のなすべき事まで他人に金を払い、そして依頼する。
  他愛ない知識と情報が横溢し、それらを最も多く知る人間が偉い人間だと
  評価され、人みなそこへ憧れ向かい、 その裏で人類が営々と貯えてきた
  生きるための知恵、創る能力は知らず知らず退化している。
  それが果たして文明なのだろうか。
  『北の国から』はここから発想した。

また、次は彼が主催した富良野塾の起草文だ。
  あなたは文明に麻痺していませんか。
  車と足はどっちが大事ですか。
  石油と水はどっちが大事ですか。
  知識と知恵はどっちが大事ですか。
  理屈と行動はどっちが大事ですか。
  批判と創造はどっちが大事ですか。
  あなたは感動を忘れていませんか。
  あなたは結局何のかのと云いながら、
  わが世の春を謳歌していませんか。

  
難しいことはとんと分からぬが、彼(倉本氏)の問題意識や危機感、熱い思いには素直に共感する。これは表現こそ違うがいつも話をするおじいちゃんの言っていることと同じとみる。倉本氏やおじいちゃん同様、小生もまた現代を憂いているひとりではあるのだが、これらの言葉はすべてがグサグサとくる情けない身だ。日々の忙しさを理由に何かを誤魔化しながら先送りしている。
都市住人なかにもの間違いなく心ある理解者・共感者はいるのだろうが、なかなか実行に移せないんだろうなぁ、たぶん。
                                          
「北の国から」の舞台は富良野。
一面を埋め尽くすラベンダーは来月中旬~下旬が見ごろだ。

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