正月とは『年神様』を自宅にお迎えする行事である。
正月がめでたいというのは、『年神様』がちゃんと家にお迎えできたから言うのである。
(以下、一般的な説である)
年神様をお迎えするにあたっては、人間界では様々な手続きというか準備がある。
まず、年神様は汚いところが嫌いなので、年末には大掃除をして家をキレイにする。
年神様が降臨される際の依り代として、角松を立てる。神様が降りてこられるには一定の条件があって、尖ったもの・尖った場所ということがあって、そのために尖った松葉や鋭く斜めに切れた竹が巻きつけてあるのである。よって角松は尖ったものの集合体である。神様は尖ったものが好きなのである。
年神様が迷わずちゃんと我が家に来ていただくための目印、避雷針(そこに誘導するという意味において同じと思う)のようなものとも言える。
せっかくキレイに掃除し清めた家に、禍々しい(まがまがしい)ものが入ってこないよう、いわば結界としての標識としてしめ飾りを家の入口の扉に飾る。門松→しめ飾りを通って神様は家に入ってこられるのである。
こうやってやっとこ家に入っていただいた年神様である。お食事を提供せねばならない。
お食事=供物(くもつ)の鏡餅を飾る。餅は農耕の実りの象徴である。年神様がお召し上がりになった鏡餅には年神様の魂が宿るので、それらは後日お飾りからさげて雑煮・焼餅として人間が頂く。そうすることにより年神様の魂をわが身に取り込むことができるのである。神様と一体になれるのである。パワーをもらえるのである。
こうやって一年の健康を願う・・・・・という話である。
迷信じみたそれぞれの意味やいわれなど別に知らなくても正月は来るし、何も困ることはないが、民俗学的に言われている上記のような正月の解釈を知っていても損はないだろう。
では年神様とは何、誰れなのだろう。
民俗学研究の柳田国男によれば、『農耕の神様』と『ご先祖様の霊=祖霊』の両方を兼ねたものであるという。
人間は死ぬと魂はあの世に行く。
あの世で一定の期間が過ぎ魂が浄化されると、やがて個人としての魂ではなく『祖霊』という大きな集団となり、春には『田の神』となり、秋が過ぎ収穫が済むと山に帰ってゆき『山の神』になる。
そして、正月には『年神様』となって家にお越しになり子孫の繁栄を見守ってくださる、という考えだ。
長く続いた農業中心の時代とは環境はだいぶ変わってはいるが、今の時代であっても田舎に住んでかような農的な生活をしていると、柳田説は共感できるものである。なので小生はこの説を信奉している。
大自然をつかさどり天におわします神様と、直接的に血がつながっているご先祖様のお陰で、今こうやって我が生があり命は長らえられている。この奇跡に感謝する日、正月である。
0 件のコメント:
コメントを投稿