2015年1月4日日曜日

2015年 味噌作り(1) 自家製味噌の思ひ出

昔、我が家で食べていた味噌は自家製だった。
味噌の仕込みは厳寒期の行事で、やたらと寒い日の作業だったことを覚えている。秋に収穫した大豆を、外に設えた竃(へっつい)に乗せた大きな釜で煮た。薪がまだ大活躍していたのだった。茹で上がった大豆を臼に入れ杵でつぶし、麹と塩を混ぜた。そして木の樽に投げ入れていたものだ。

味噌を保管していた場所は、蔵に付属した6畳程の小さな物置部屋。『味噌蔵』と呼んでいた。薄暗い部屋の中には高さ1mほどで、径は70~80cmもあろうかという大きな木の樽が3樽並んでいた。使わなくなって久しい今では、樽も傷んで埃を被ったままだ。
かつてはどれにも味噌がたっぷりと入っていて、十分に熟した数年物の味噌から湧き上がる芳しい香りが漂っていたものだ。
当座使う分だけを樽から取り出してきては台所の甕に保存して、都度すり鉢で摺って使う。市販されている味噌には無い、潰しきれないで残った大豆片が入っている味噌だった。他家の手作り味噌の味は知らぬが、おそらくは我が家独自の味というものだったはずだ。何しろ、正確なレシピなどなく、目分量で麹や塩を投入して作っていたのだったし、軽く100年は使用されてきたであろう古い木の樽を使っていたのであるから発酵に活躍する微生物が樽にこびり付いていて、風味豊かな独自の味噌を熟成させていたのだろう。滋味に富んだ味噌であったに違いない。
         
我が家で味噌作りをしなくなって久しい。樽も傷んできたためもあるが、昔ほど大家族でなくなり樽で作るほどの必要性がなくなったためだ。そして大豆栽培からもすっかり遠ざかってしまった。

いつだったか現代農業に味噌作りの特集記事があったのを読んで、子供の頃飲んだ味噌汁の味と亡き父母たちがやっていた味噌仕込み風景が堪らなく懐かしくなった。この時、もう一度愉しみのために再現してみようと考えた。
実はすでに味噌作り計画は昨年春から始めている。6月下旬に2アール程の畑に種を播いた。12月には無事に収穫し終えている。種の大豆は、親類から入手した交配種(当地の地大豆である『青御前』×味噌作りに適した『タチナガハ』)である。

※青御前は淡い深緑色であるため、それだけを使って味噌を作ると色が悪いとのことである。
種まき、草取り、収穫、脱穀・・・体力はかかるが、楽しむ目的があると不思議と大変さよりも楽しさが勝る。常陸秋そばと同じだ。育って行く過程もじっくり観察してきた。何につけ植物が成長してゆく様は感動することが多い。人間は種を播くだけでしかなく、非力である。
2014/7/7
2014/8/31
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2014/11/22
脱穀
タチナガハの薄黄色と青御前の緑色のちょうど真ん中の色の大豆だ
もう一つの具材である麹も既に依頼してある。さあ、材料が揃ったら連休あたりで作業するとするか。

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