2013年11月3日日曜日

リンドウとM先生

リンドウは秋の花である。
初秋には栗拾いで賑わった我が家の栗林。
その片隅に自生しているリンドウが、ちょうど今花をつけている。
ほぼ同じ時期に咲いているサザンカのように派手に花弁を散らすこともない。菊のような鮮やかな色合いもない。
どちらかと言えば控えめでひっそりとそこに佇む花である。
花ことばも『あなたの悲しみに寄りそう』だとか。宜なるかな・・・という感じがする。
正確には分からぬが『ササリンドウ』という種類であろうか。
毎年すこしずつ株が増えてきている。
草を刈り払う時には注意している。

         

毎年、この花を見るとき不思議とある人を思い出す。
小生が小学1年と2年のときの担任だった女性教諭のM先生である。
M先生はある時、『リンドウは一番好きな花なのよ』とおっしゃった。
他愛も無いことだが妙に鮮明に覚えている。

M先生がどんな場面でなぜそんなことを口にしたのか覚えていない。
好きだという理由も恐らくその時に聞いてはいたのだろうが記憶はない。
それ以上に不思議なのは、どうしてこのフレーズだけを半世紀近くも経ってもなお覚えているのだろうかということ。
あの紫色や佇まいがなんとなくM先生に重なって映り、ぴったりだと子供心に納得したのかもしれない。
いずれにしてもフレーズ以外は昔日のおぼろげな記憶でしかない。

残念ながら玉川小学校のわが学年は同窓会がまったく開催されていないのでもう30年以上もM先生にはお目にかかっていない。
不確かな記憶だが、お生まれは大正15年のはずだからご健在であれば87歳になっておられる。どのようにお歳を召されただろうか。
当時39歳~40歳だったM先生。
教師として経験も積まれ、充実されていた時期の赴任校だったかもしれない。
かように出来の悪い童をなんとも辛抱強く、ご指導下った。有難い事だ。
遠い記憶の中のM先生は、優しいまなざしと笑顔でいつも輝いている。
 
         

出来の悪い童もとうにあの頃の先生の齢を超えた。
M先生の愛情の深さをこの年齢になってやっと理解できるような愚かなわが身である。

リンドウは小生にとってはM先生が重なる花だ。
懐かしくもあり、ちょっぴり寂しさを感じさせる花でもある。


昭和39年4月入学式あとで満開の桜の校庭で記念撮影
最後列右端がM先生
(ちなみに同左端がA校長)

2 件のコメント:

  1. 失礼ですけど、貴方はどなた様ですか。これだけの文章、洞察力は大変なものと感服しております。昭和39年4月と言えば、私は玉川小学校の6年生でした。A校長、M先生も良く知っております。懐かしく読ませていただいています。

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  2. 「玉小」の先輩にご覧いただきコメントまで。大変恐縮しております。
    小生は生まれ育った東野を限りなく愛している、単なる田舎オヤジ。
    粗にして野ですが、けっして卑にはならないようにしてこの田舎に誇りを持ち日常を楽しんでいます。
    少し歴史的な面に興味があり、今を生きる者の責務としてご先祖様たちの生きたさまを調べたりもしています。ご存知の通り何もない場所ですが、子供のころには気付かなかった素晴らしい魅力に溢れた素晴らしい田舎だと感じています。
    時の移ろいは止めようもなく既に玉小も一中も無くなりましたが、だからこそ玉川LOVEでいたいと思います。
    ネガティブな視点でこの場所を見ていると何も建設的な発想は生まれません。楽しみながらが一番です。
    今後ともお引き立てのほどをお願いします。


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