先日は、例年より早めに襲来・上陸した台風が各地にまた災害の爪痕を残し、足早に通り過ぎた。
この地域では土砂災害などはなかったが、北茨城では今回も土砂崩れで被害が出たようだ。
おかけさまでというか、稲作についていえばこれらの降雨により水に困ることはまず無いのでありがたいが、一時に大量に降られるといくら保水力がある里山であっても限度がある。
しばらくすると、いわゆる鉄砲水が流れ、水路を超えて田んぼに及ぶ。
いつもの思いだが、晴れも雨も風も、ほどほどが一番良い。
またテレビ番組の話題となるが、一昨夜(6/20)にNHK総合でレビで放送されたクローズアップ現代を見た。
テーマは『"里山"汚染メカニズムを解明せよ ~福島農業・2年目の模索~』である。
『里山』という単語と『汚染』というあまり好ましくない文字との組み合わせが、関心をひいた。
・ NHKクローズアップ現代 2012/06/20
昨年、福島県の米から放射性物質セシウムが検出され出荷停止になったのは記憶に新しいが、どのようにして稲に吸収されたのか肝心なメカニズムが謎に包まれているという。
福島県内は、広く放射生物質が降り落ちたはずなのに、特定の田んぼの米から高いセシウムが検出された。
いったいセシウムはどう動き、どう稲に吸収されるのか。
植物・土壌・放射線測定など40人以上の専門家・研究者たちが専門分野を越えて集結し、総合的にアプローチしていった経過をリポートしたものだ。
謎の解明を難しくしてきたのは、豊かな物質が循環し米に作用する里山の複雑な生態系なのだとか。
結論から言うと、落ち葉や雑草等が表面を覆いやすい山に近い環境にある田んぼで、原発事故直後に落ち葉など有機物に降り積もったセシウムが、夏に水田の温度が上がったことで急速に(落ち葉等の有機物の分解が進んだことで)溶け出し、発育段階に有る稲に吸収されたということだ。
意外にも、田んぼの表面土に降ったセシウムの多くは土中の粘度に吸着され、稲の根からはほとんど吸収されていないのだそうだ。
山から流れ込む沢水については、予想したほどはセシウムを含んでいないとのことだった。
いろいろ難しい話もあったのが、里山は極めて豊かな自然環境が複雑な生態系を作り出しており、極めて解明が難しいとともに、対処も困難であるということだ。
そんな自然の織りなす『複雑系』の中に、人工の迷惑化学物質が入り込んだのだからややこしい。
そんな自然の織りなす『複雑系』の中に、人工の迷惑化学物質が入り込んだのだからややこしい。
豊かな自然の恵みを受けてこの地域で農業を営んできた人々は、できるだけ科学的な処理はしない農業をしてきた人たちだろうと思う。
とくに、いわゆる有機農法に重点を置き実践してきた人は、その有機物そのものが汚染されてしまった故に、対応の術がない。
まさに死活問題だ。
まさに死活問題だ。
現場では研究が進み、いろいろな科学的な知見が積み重なってきているという。
ただ、里山は田んぼ一枚毎に環境が違うのが現実。
これらの知見をどうやって夫々の農家に普及させ、影響を極小化させるか、である。
番組では、田んぼ脇の水路に籾殻を詰めた袋を埋め込み水を濾過させてから田んぼに入れる農家が紹介された。
ただ、高齢化が進んで担い手不足の中山間地域では、このような方法もはたして何処まで可能か。
結局、この豊かな自然環境の中での農業を放棄する人が増えて、ますます荒廃してしまうのだろうと思う。
そもそも、原発事故がなくても長期的傾向として耕作放棄が進んできていた地域ではあるのだが。
問題の根は深い。
原発事故にあって、茨城県北部のあたりは放射性物質の汚染程度は低く、米作りにもさして影響が無かったのは幸いであった。
番組のなかで画面に映る里山の田んぼの風景は、まさにこの地域のそれとまったく同じだった。
この同じような環境で営農してきている彼らの姿に強い共感を覚える。
と同時に、いったん事故が起こると現在の科学では対処しようがない『原子力』に深いを疑念を抱かざるを得ない。
と同時に、いったん事故が起こると現在の科学では対処しようがない『原子力』に深いを疑念を抱かざるを得ない。
現代の人間が己の文明、生活の豊かさを追求するために利用した科学技術だが、自然に回復不能なダメージかけてしまった。
この取り返しのつかない負荷・負の遺産は、どうやって償うのだろう。
この取り返しのつかない負荷・負の遺産は、どうやって償うのだろう。
我々の子孫の代にまでその負の遺産は続く。
奢り高ぶって、科学を過信した現代人の末路である。代償は大きすぎたようだ。
やはり見習うべきは『自然』そのそものではないのか。
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