2020年4月10日金曜日

大子町 旧上岡小学校の桜 2020

一昨日(4/8)、大子町にある旧・上岡(うわおか)小学校の桜を訪ねた。
(所用あっての単独での車での外出である。ここは人が密集する混んだ場所でもなく、換気の悪い密室でもなく、他人と間近に話をするわけでもないので。。)

まさにちょうど満開となったたおやかな桜を、静かにひとり堪能することができた。
ここの桜は、レトロな木造校舎と相まって実にいい雰囲気を醸し出している。小生お気に入りの桜の木の一つだ。ガルパンなんやらで有名になったこの場所だが、今日はその手のファンは来ていなかったようだ。

新型コロナウィルスによる非常事態宣言騒ぎで何かと鬱陶しい昨今だが、ここだけは何か特別な時間と空気が、静かに優しく流れているようであった。
加えて同じ桜の花ではあるが、老木が装う花には若木にはない格別の風格がある。


一方、旧上岡小学校の近くの西の小高い丘上には、ヤマザクラ系の桜と枝垂れ系の桜の2本の大木がある。目立つ単独樹だ。存在感が半端ないのでこちらも大好きだ。
東側にあるヤマザクラ系の大木

西側にある枝垂れ桜系の大木

それぞれの樹下には墓があるのだが、墓としてはなんとも贅沢なロケーションだ。

◆  ◆  ◆
大子町までの途中に水郡線・西金(さいがね)駅がある。
その駅前にも桜の古木があり、樹下には水郡線建設に多大な功績を収めた国会議員『根本正』の胸像がある。
水郡線の開設の大恩人  根本正(1851~1933)

西金駅前の1段高い処、階段の先に胸像があるのだが
知らぬ人も多いのではないだろうか
プレートも剥がれ落ちたままだった
【西金駅 秘話】
水郡線建設当時、西金の南側の下小川と北側の上小川ではそれぞれの村民が強い駅設置の懇願を行い、駅ができることが内定。ちょうど真ん中の西金としては両側に駅ができると西金には駅をつくってもらえないということになってしまった。
そうなっては困ると焦った西金村民。駅誘致運動を村を上げて開始した。
その熱い思いが暴走し、誘致運動は過激化してしまった。
あまりのひどさに困惑した鉄道省は西金の村の中に線路を通すのはのは止めだ、久慈川右岸(西側岸の山側。平らなところなどなく川岸から切り立った岩の山肌である)に通す、と言い出し、測量も中断してしまった。
村民の中には駅ができないのなら鉄道を通す必要もないだろうとして、建設予定地の売却を拒む地権者まで出てくる始末。そうなるともう滅茶苦茶、地元民の思惑もバラバラで鉄道開通の見通しが立たなくなった。
水戸へつながる鉄道開通を心待ちにしている北側の大子町周辺の人々はそれはそれは困ってしまったわけだ。
県北地域の悲願だった鉄道建設によって、西金村民とそれ以外の周辺地域の人々との間が険悪なムードになってしまった。
何度も話し合いが持たれたようだ。結局は地元選出の国会議員を巻き込みまとまることに。西金村民が駅建設費用を負担するという大英断で駅を作ることに決まった。
とにもかくにも、西金に駅ができた。めでたしめでたし。

・・という、とんでもなく大変なドタバタのすえにやっと開設したという逸話が残る西金駅だ。西金地元民の熱い熱い思いが叶って実現した悲願の駅なのである。
余談だが、のちに西金駅は砕石の積み出し駅としての地位を確立し全国的に有名になることになる。一説には首都圏の国鉄線路に敷かれた砕石はその多くが西金から積み出されたものという。その専用列車が「西金工臨」呼ばれる砕石積載専用車両だ。赤いディーゼル貨物牽引列車が引っ張る貨物列車だ。

だから水郡線の他駅にはない(常陸大子駅除く)この胸像は、西金村民の根本正に対する感謝と功績を村民が称えてたものなのである(、と推察される)。

・・・のだが、いまではあまり住民も含めて人々に顧みられることも少ないらしい。ちょっと寂しい。説明板碑のプレートは剥がれ落ちたままだ。

まもなく水郡線は全線開通100年を迎える。
この鉄道を取り巻く時代の変化に根本正代議士も泉下で驚いていることだろう。



0 件のコメント:

コメントを投稿