NHKラジオの大相撲中継で結びの一番(日馬富士が琴奨菊に負けた一番)を聞きながら車で走っていた時分であるから、午後6時少し前だった。
西の空に絵画のような朱色に輝く雲が広がった。思わず車を停めて見入ってしまった。
2017/9/12の夕焼け (山方地区にて) |
このような夕焼けを見ると思い出す短歌がある。
いつどこで見て知ったものかも、誰が詠んだものかも覚えていないのだが、琴線に触れたのだろう、妙に記憶している。
ただ語句も正確かどうか自信はない、そんな程度でしかないのだが。
極楽におわす 父母 ふと想う
夕焼けの空 飽かず眺むる (読み人知らず)
なんだか亡き父母を慕う気持ちがしみんみりと伝わってくる。
西の空を真っ赤な夕焼けが染め上げたとき、たいていこの句を思い出し、心の中で呟いている。今日一日無事に過ごせましたと感謝しつつ。
亡き父母たちは西方にあるという「極楽浄土」にいて、子や孫を見守ってくれている。そのお陰で日々平穏無事に過ごせている。そこに自然と感謝の念が湧くものだ。だが、目先の雑事に感けて、なにか誤魔化しつつ生活してしまっていることの多いわが身。盆と彼岸、命日の時ぐらいだろう、積極的に思い出すのは。それとて多分に後ろめたく、懺悔しつつではあるが。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
目に見えないものは信じられないという思考は傲慢で寂しい。歳を重ねるにしたがってそう考えた方が合理的であると思うようになった。不思議なものだ。
そういえば、秋の彼岸がもうすぐだ。
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