2014年9月19日金曜日

人面付き土器 泉坂下遺跡

常陸大宮市南部の泉地区。
そのなかでも東部である台地縁の崖の下にある字でいう『坂下』に『泉坂下遺跡』はある。これまでの調査で弥生時代中期の再葬墓が数多く確認され、平成18年には人面付き土器が出土している遺跡だ。
公共工事や住宅開発などに伴う緊急発掘ではなく、学術調査としての丁寧な発掘作業が市の教育委員会によって今も続けられている。
常陸大宮市HP   泉坂下遺跡

先日、発掘の現場を訪ねてみた。周囲の田んぼは稲刈り作業の真っ最中だった。

遺跡中央部から東側を望む。田んぼの向こうは久慈川。
同、西側を望む。向こうの森の先が大宮の市街地の台地。カワチ薬品も近い。
崖下の地で久慈川にほど近いが、けっして低湿地ではない。
南側に開けたそのロケーションは水はけの良い、そして生活水を得やすい地である。
北側に崖を配し北風も防ぎやすい。そして最大の定住のための好条件は久慈川の資源を容易に得られることだろう。
農耕を始めているこの時期としては、この地はある程度の人口を抱える定住集落ができるにはちょうど良い場所であったことだろうと思う。この地に立ち、吹き渡り来る風を吸うと、心ははるか2200年前の昔に飛ぶ。
再葬墓は、死者を土葬して何年かのちに白骨化した骨を掘りだし改めて土器に入れて埋葬(再葬)したものだ。死者を弔う精神的儀式に関連する遺跡と言って良い。古代人の高い精神文化をこの人面付き土器が語っている(ような気がする)。


邪魔にならぬよう傍から少しだけ発掘の様子を見学させてもらった。
朝夕涼しくなったとはいえ、日中は照ると日差しはまだまだ暑い。
何人もの作業員の方が地面にへばりつきながら作業を進めておられた。
この夏の作業の大変さは如何ばかりであったか。

この姿は大学生時代の小生の姿でもある。なんとも懐かしく眺めた。
こんな現場には独特のある種の匂いがあるのである。堪らないのである。

本来の勉強そっちのけで、年中遺跡発掘に没頭していたあの4年間。
何に突き動かされていたのか判らぬが、あの頃不思議な高揚感があった。
久々に遺跡発掘現場を間近に見て、眠っていたあの時の熱い思いがまた沸々と湧いてきた。

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