2014年1月27日月曜日

久慈の山・・のおこぼれ


常陸大宮市山方。
この街は、かつて山方城の城下で南郷街道の宿場町としての賑わいを見せた。
佐竹氏が常陸国を統治し、最も勢いが盛んだった時代(時の権力者である豊臣秀吉と佐竹氏はかなり親密な関係だったため、その後ろ盾もあって佐竹氏は関ヶ原の戦い前までは当地で絶対の権勢を誇った。秋田へ国替えする少し前、つまり西暦1600年・慶長の頃のことだ)には、この地が持つ地政学的な重要性からであろう、太田の佐竹宗家は重鎮・東義久を山方城主として送り込んでいる。

南北600mほどの直線的な宿並は、秀吉や石田三成と昵懇だった東義久が地割り整備させたときのものらしい(当時の佐竹宗家・佐竹義宣よりも、義久は信頼があったようだ)。
宿を貫く街道の北端は城の曲輪に真っ直ぐ続いており、防御上は好ましくない街構成のはずだが敢えて豊臣系の町割り(長方形街区)としたようだ。このあたりにも義久のしたたかさがうかがえる。
山方宿内の往還もさぞや賑やかであったことだろう。

・・・等と書きだすと、また佐竹氏の話か、と思われるかもしれないが、今日はもっとソフトな内容である。

         

今なお地名に宿の字を残す日本3大宿(新宿・原宿・山方宿)のひとつである山方宿であるが、残念ながら地方の小都市衰退の例に漏れていない。かつて賑わいをみせた宿場町はすっかり姿を消し栄光の時代の面影はほとんどない。その遺物遺構すら探すのは難しくなっている。

そんな場所なのだが、他の商店が続々と閉店・廃業する中で今なお往時からの伝統と技を連綿と受け継ぎ、しっかりと営業を続けている企業がある。
名門『根本酒造』である。
社のHPによれば、慶長年間から・・とある。まさに東義久が城主だった時代からである。
この街の栄枯盛衰を見続けてきた当地屈指の老舗酒蔵である。
国道118号バイパスからは酒蔵群と巨大な看板徳利(ストリートビュー写真中央部 高さは4〜5mはあるだろう)がよく見える。

         

根本酒造の代表銘柄が『久慈の山』である。
この銘酒を醸造した残りかす、すなわち『酒粕』を今年も手に入れることができた。

ご承知の通り、酒粕は『かす』といってもその秘めたチカラは極めて高く、素晴らしい食品である。
 ご参考  ⇨  酒粕の栄養  
The 酒粕 (by  根本酒造)
当たり前のように『甘酒』を作ってみることに。
レシピと言う程のものは何もない。
手で粗くちぎって水に浸しておき、ドロドロになったところで煮立てて、砂糖を入れてかき混ぜたら、出来上がった。
かき混ぜているときから、昇りたつ湯気の米麹のぷ〜んとした良い香りが、鼻腔をくすぐる。ひょっとしたらこの酒粕は大吟醸のものかも知れない、などとひとりごち。
色彩的にも柚子皮の黄色が入ると美しい。
口腔での麹と柚子のコラボは絶妙で素晴らしい。
そして以前、なにかで見たことがあり是非試してみたかったことがあった。
甘酒に『柚子の皮』を刻んで散して飲むと美味い、とあった。
先日皮を剥いて冷凍保存しておいたものがある。

単に甘酒だけでも十分に味わい深いのだが、柚子皮をほんの少し入れるだけでまた一段と風味が広がるから不思議だ。ここでも柚子皮は不思議なチカラを発揮するようだ(あくまで個人的な感想)。
鍋物や暖かい麺類には柚子皮が最適と信じていることは先日のブログで記した通りだが、甘酒にも最強の組み合わせであることを確信した。
こんなことは既にご存知の方もいることだろうが、小生としては意外な発見であった。

          

今年も県北地域は冷え込みが続き、久慈の山間の『袋田の滝』もかなり氷結したようだ。久慈川では『シガ』と呼ぶ川面の氷が流れたとニュース放映されもしたようだ。
まだ一月。寒い日が続く。

体を芯から暖め、健康にも美容にも良いとされる酒粕とその甘酒。
さて、これからの山仕事・・野良仕事には、『久慈の山』のおこぼれの甘酒を啜って体と心を温めてから出るとするか。

・・ささやかではあるが幸せを感じる瞬間である。
こんな当たり前のことを当たり前に続けられるということ、なんと幸いなことか。
いろんなのものに素直に感謝できること、実はこれがいちばん幸せなことではあるまいかと、最近妙に思うようになった。甘酒に酔ったからではない。。

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