デパートも街も、こぞって金色・銀色の煌めきだ。
商業主義がはびこり、本来の意味合いとはほど遠いものになっている感がある(クリスマス商戦→年末商戦→正月商戦・・・と息つく暇が無い程にカキイレドキである)が、まあ仕方ない。
皆の心がウキウキやらワクワクし、そして人にやさしくなれる心が生まれたりするのであれば、きっとそれがその人に『サンタクロースが来た(宿った)』ことなのだろうと思う。
サンタクロースとは、大人も子供も関係なく、人にやさしくなれる心を抱かせる、あるいはその人を幸せだと思わせる、目に見えない何か大切な存在のことなのではないかと思っている。たとえば大切な人にふと心やさしくなった時など、その人にサンタクロースがやってきた(宿った)と解釈している。
つまり、あの赤い服を来たサンタはそんな目に見えないものを信じられない・想像できない人のための便宜的なもの、というのが小生の考え。
勝手な個人的な解釈だがそんな風に、昔から頑に信じている。
話は変わって、かつてのバブル景気(1986〜1991)の頃の話である。
JR東海が流していたCMで『シンデレラエクスプレス』がある。
東海道新幹線を舞台にした遠距離恋愛がテーマで、山下達郎 の『クリスマスイブ』が使われた。懐かしくその頃を思い出す御仁も多かろうと思う。
なんともバブリーな感じが漂っていて、あの時代の空気を正しく反映していると思う。
いまのような携帯電話が無かった時代の恋愛を象徴しているなんとも言えないCMである。
自分自身とはほど遠いCMシチュエーションであることは百も承知ながら、見入っていた記憶がある。
いまこの歳になって、このCMをYouTubeで見ても『そうなんだよなぁ〜、相手と連絡が容易につかないからこそ、こんなハラハラもイライラもドキドキもあったんだ。うんうん、確かにドラマがあったんだよ・・』などと勝手に頷いたりしている。
大方の人が(CMのような甘美な体験はしていないと言う意味で)小生と同じようなものだろうとは思うのだが、シンデレラエクスプレスなる言葉とともに、このCMはある世代以上では甚だ共感を得たのである。
携帯電話が一般的になって便利になったことが、あの時代のほろ苦かったり逆に幸せだったりした、ちょっとしたセンチメンタリズムをすっかり無くしてしまったようだ。
このCMのような体験はいまの若い世代にはなかなか想像がつかないことだろう。
かわいそうな気もする。
あの当時と現代。
どちらの男女の逢瀬にサンタクロースはより微笑んで、大切なプレゼントを下さることだろうか。
神様は(おそらくケチクサイことはしないだろうから)より深い慈しみの心で両者に幸せを与え賜うとは思う。
だが、両時代を経験して知る小生のような世代は、単なる懐古趣味ではなくかの時代を懐かしく思い、前者に軍配を挙げるに違いないと思うがいかがであろうか。
だが、逆に携帯電話を始めとするモバイル端末が出現して飛躍的に便利になったことで得られた効用もまた大きい。負の面ばかりではけっして無い。要は使い方次第だ。
斯様にいったん通信手段や情報端末としての携帯やパソコンを手にし便利さを享受してしまった我々が、これらのものから隔離された環境に置かれると想像以上にショックが大きい。
たとえば病院に入院した場合である。
これらが全く使えなかったり、大幅制限されたりすると、逆に体の具合が悪くなりそうなくらいに情報飢餓が起こる。このことは容易に想像できるだろう。
一昔前は入院中の生活というのはTVを見るかラジオを聞くか、本や雑誌を読むかする程度で(それぐらいしかすることが無かった)、得られる情報も楽しみも限度があった。
つまりネットが普及する以前は、普段の生活と入院生活とは情報入手手段だけをみるとあまり大差はなかったので、こと情報ネット欠乏の点だけをみれば精神的なストレスは少なかっただろう。
だが、いまの時代に溢れんばかりの情報に容易に接している人間が、入院とともにネットから隔離され突然断たれると戸惑いが大きい。
スマートホンでパソコンのかなりの機能部分は代替できるとはいうものの、やはり長時間・長期間使用するには、あの小さな画面では限度があるだろうと思う。きっとストレスだろう。
かといって(治療中という状況で)病室にパソコンを持ち込んで使うには病院側の許可(おそらくハードルは高そうだ)が要であろう。
そしてそもそも病院ではLAN回線が確保できない。
その解決策としてはモバイルデータ通信用のWifiルーターを別途用意する手があるが、そのためだけに月額費用も高いルーターを購入するのか。また果たしてそこまでして入院前のパソコンライフレベルを確保する必要があるかと考えてしまう。
入院中なのだからぜひ仕事を忘れて治療に専念したいものだが。
とはいいながら、バカ騒ぎだけのTVを見続けることや、雑誌やら新聞やらを読むだけの生活には耐えられなくなっている身になっている。
ネットで自由に検索して手に入れる情報はある程度欲しい・・。
そこでタブレット端末(ワイヤレス接続機能付き)が俄然浮上してくる。
画面の大きさも重さも操作性も。キーボードが無い(必要時には画面に出す)方が操作が楽で病人にとってはむしろ良い。
どうせ決まりきった『お気に入り』や『ブックマーク』に登録したベージを繰り返し見るだけだ。
なにともこれが重宝なのだ。タブレット端末であれば病院側の使用許可ハードルは低い(と思う)。退院した後も場所を選ばず使える。無論ルーターと同様月額の費用はかかるが、使い勝手はよい。
これがあると入院ライフもまた楽しからずや・・となること請け合いである。
・・・なのだそうだ。
そんなことを最近知る機会を得た。
これはiPadであるのだがなかなかの機能に驚く。
確かな手応えがある。使える・・iPad。恐るべしである。
いきなりの情報断絶もしくは欠乏により、イライラしたり精神が不安定になったりしかねないが、このタブレット端末によりだいぶ緩和されることは間違いない。
もしかしたら、タブレット端末は、現代人の病院での治療器具のひとつかも知れない。
タブレット端末を通して、家族と(あるいは大切な人との)SkypeもMailも可能だ。
人との繋がりも十分に確保できる。
そして溢れんばかりの暇な時間を、(有料・無料の)ゲームでやり過ごすことだって出来る。
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