2013年12月30日月曜日

餅こそハレの日の食べ物 

民俗学の柳田國男によって見いだされた日本人の世界観に『ハレ』と『ケ』というものがある。
『ハレ』とは儀礼や祭り年中行事などの『非日常』であり、『ケ』とはその他の普段の生活『日常』である。
現在でもこれだけ祝われている正月である。
ハレの日の中でも正月は特別な日として健在であり、その存在感は際立っている。

かつては年中最大の行事として、もっともっと高揚感があり、年末から準備が進められていた様に思う。
難しいことをいえば、正月とは年神様を迎え、新年の安泰と五穀豊穣を祈願する、農業中心の社会に深く根付いたものである。
以前のブログに記したが、正月が『めでたい』のはこの年神様を迎え入れることができた・できるからめでたいのである。
今もであるが、年が改まることで気持ち新たに全てがスタートをきる、という大切な節目である。
             

子供の頃(昭和40年代中頃までか)は、まだ囲炉裏で火を使っていたこともあり、年末の晴天の日を選んでまさに『煤払い』をしたものだ。
家中の家財を運び出し、竹の棹に笹の葉をつけた箒で天井を払ったものだ。
煤払いが終わった後には、『お正月様』なる神様を祀る棚を家の梁に吊り下げたものだった。正確には思い出せないが、注連縄を張り、御幣を差して、お神酒やら榊やらみかんやらを供えたものだ。
子供心に、その吊り棚のそこには神聖なものが宿っているような気がした。
こうった行事を通して、年が改まるということに何か特別なものを感じとっていたものだ。
だが、いつのころからかこの『お正月様』は姿を消した。

年末に『餅つき』をする。
29日の餅つきは『苦をつき込む』とか『二重の苦となる』とかいうことで忌み日とされているので、敢えてこの日は餅つきはしていない。
我が家では、今なお臼と杵で餅をついている。
20数年前に購入したケヤキのもので多少ヒビワレがあるが活躍している。
これも大切な年中行事と思ってはいるのだが、さていつまで続けられるであろうか。
暖かいうちに素早く四角い伸し板に入れて延ばす。
片栗粉をまぶす。
餅は、まさに神人共食(しんじんきょうしょく)。
神様とともに食事をする、あるいは神様の食べたものを自分も食べることで、その力やご利益を得ようというものだ。
正月の餅は基本的には神様(年神様)にお供えするもの。その餅を食べることは神人共食であって、古来さまざまな願いが込められてきたのだろう。
今ではスーパーに常時並んでいる切り餅パックで珍しくもなんともないが感はあるが、間違いなくハレの日の食べ物である。
そんなこんなで、我が家では今もって餅は大切な正月のアイテムである。

昔は、正月からしばらくの間は餅を食べる日がずっと多かった。
伸し板を使い四角く伸した餅を保存しておき、食べるタイミングで切り分けていっていた。
固くなった板状の餅を包丁で切るのだが、これがなかなか手強い。
出刃包丁のような頑丈なものでもなかなか太刀打ちできない。
今は亡き祖母や母は、固くなった餅を切るのにずいぶんと苦労していた。
それを見て、手伝った記憶も鮮やかに甦る。
幾多の苦労を経たであろうその節くれ立った手で握る包丁がやけに印象的だった。
小生にとっては、餅を切る所作は嫌でも彼女たちの記憶に重なってしまい、やや切ない心象風景である。


おっと、まずい。。。
最近は涙腺が弱くなったようで、昔の記憶が甦るとちょっとしたことで懐かしさを通り越して瞼が熱くなる。
かつての祖母・母の年齢に自分もなったということ、年を取ったということだろう。
(数え年の考え方だが)新年を迎えると皆ががひとつずつ年を取る。

          

さて来年はいかがな年になるであろうか。
特別に良いことが何もなくて良い。ただただ平穏な年であることを切に願う。

プログの更新頻度は(以前に較べて)少なくはなろうが、また続けていきたいと思う。
引き続きよろしくお願いします。

2013年12月23日月曜日

サンタクロースはやってくる

この3連休、世はクリスマス一色だ。
デパートも街も、こぞって金色・銀色の煌めきだ。
商業主義がはびこり、本来の意味合いとはほど遠いものになっている感がある(クリスマス商戦→年末商戦→正月商戦・・・と息つく暇が無い程にカキイレドキである)が、まあ仕方ない。
皆の心がウキウキやらワクワクし、そして人にやさしくなれる心が生まれたりするのであれば、きっとそれがその人に『サンタクロースが来た(宿った)』ことなのだろうと思う。

サンタクロースとは、大人も子供も関係なく、人にやさしくなれる心を抱かせる、あるいはその人を幸せだと思わせる、目に見えない何か大切な存在のことなのではないかと思っている。たとえば大切な人にふと心やさしくなった時など、その人にサンタクロースがやってきた(宿った)と解釈している。
つまり、あの赤い服を来たサンタはそんな目に見えないものを信じられない・想像できない人のための便宜的なもの、というのが小生の考え。
勝手な個人的な解釈だがそんな風に、昔から頑に信じている。

         

話は変わって、かつてのバブル景気(1986〜1991)の頃の話である。
JR東海が流していたCMで『シンデレラエクスプレス』がある。
東海道新幹線を舞台にした遠距離恋愛がテーマで、山下達郎 の『クリスマスイブ』が使われた。懐かしくその頃を思い出す御仁も多かろうと思う。

YouTube   → JR東海 Xmas Express CM 1988年~1992年 & 2000年


なんともバブリーな感じが漂っていて、あの時代の空気を正しく反映していると思う。

いまのような携帯電話が無かった時代の恋愛を象徴しているなんとも言えないCMである。
自分自身とはほど遠いCMシチュエーションであることは百も承知ながら、見入っていた記憶がある。
いまこの歳になって、このCMをYouTubeで見ても『そうなんだよなぁ〜、相手と連絡が容易につかないからこそ、こんなハラハラもイライラもドキドキもあったんだ。うんうん、確かにドラマがあったんだよ・・』などと勝手に頷いたりしている。
大方の人が(CMのような甘美な体験はしていないと言う意味で)小生と同じようなものだろうとは思うのだが、シンデレラエクスプレスなる言葉とともに、このCMはある世代以上では甚だ共感を得たのである。

携帯電話が一般的になって便利になったことが、あの時代のほろ苦かったり逆に幸せだったりした、ちょっとしたセンチメンタリズムをすっかり無くしてしまったようだ。
このCMのような体験はいまの若い世代にはなかなか想像がつかないことだろう。
かわいそうな気もする。
あの当時と現代。
どちらの男女の逢瀬にサンタクロースはより微笑んで、大切なプレゼントを下さることだろうか。
神様は(おそらくケチクサイことはしないだろうから)より深い慈しみの心で両者に幸せを与え賜うとは思う。
だが、両時代を経験して知る小生のような世代は、単なる懐古趣味ではなくかの時代を懐かしく思い、前者に軍配を挙げるに違いないと思うがいかがであろうか。
だが、逆に携帯電話を始めとするモバイル端末が出現して飛躍的に便利になったことで得られた効用もまた大きい。負の面ばかりではけっして無い。要は使い方次第だ。

         

斯様にいったん通信手段や情報端末としての携帯やパソコンを手にし便利さを享受してしまった我々が、これらのものから隔離された環境に置かれると想像以上にショックが大きい。
たとえば病院に入院した場合である。
これらが全く使えなかったり、大幅制限されたりすると、逆に体の具合が悪くなりそうなくらいに情報飢餓が起こる。このことは容易に想像できるだろう。
一昔前は入院中の生活というのはTVを見るかラジオを聞くか、本や雑誌を読むかする程度で(それぐらいしかすることが無かった)、得られる情報も楽しみも限度があった。
つまりネットが普及する以前は、普段の生活と入院生活とは情報入手手段だけをみるとあまり大差はなかったので、こと情報ネット欠乏の点だけをみれば精神的なストレスは少なかっただろう。
だが、いまの時代に溢れんばかりの情報に容易に接している人間が、入院とともにネットから隔離され突然断たれると戸惑いが大きい。
スマートホンでパソコンのかなりの機能部分は代替できるとはいうものの、やはり長時間・長期間使用するには、あの小さな画面では限度があるだろうと思う。きっとストレスだろう。

かといって(治療中という状況で)病室にパソコンを持ち込んで使うには病院側の許可(おそらくハードルは高そうだ)が要であろう。
そしてそもそも病院ではLAN回線が確保できない。
その解決策としてはモバイルデータ通信用のWifiルーターを別途用意する手があるが、そのためだけに月額費用も高いルーターを購入するのか。また果たしてそこまでして入院前のパソコンライフレベルを確保する必要があるかと考えてしまう。
入院中なのだからぜひ仕事を忘れて治療に専念したいものだが。
とはいいながら、バカ騒ぎだけのTVを見続けることや、雑誌やら新聞やらを読むだけの生活には耐えられなくなっている身になっている。
ネットで自由に検索して手に入れる情報はある程度欲しい・・。

そこでタブレット端末(ワイヤレス接続機能付き)が俄然浮上してくる。
画面の大きさも重さも操作性も。キーボードが無い(必要時には画面に出す)方が操作が楽で病人にとってはむしろ良い。
どうせ決まりきった『お気に入り』や『ブックマーク』に登録したベージを繰り返し見るだけだ。
なにともこれが重宝なのだ。タブレット端末であれば病院側の使用許可ハードルは低い(と思う)。退院した後も場所を選ばず使える。無論ルーターと同様月額の費用はかかるが、使い勝手はよい。
これがあると入院ライフもまた楽しからずや・・となること請け合いである。

・・・なのだそうだ。
そんなことを最近知る機会を得た。

これはiPadであるのだがなかなかの機能に驚く。
確かな手応えがある。使える・・iPad。恐るべしである。


いきなりの情報断絶もしくは欠乏により、イライラしたり精神が不安定になったりしかねないが、このタブレット端末によりだいぶ緩和されることは間違いない。
もしかしたら、タブレット端末は、現代人の病院での治療器具のひとつかも知れない。
タブレット端末を通して、家族と(あるいは大切な人との)SkypeもMailも可能だ。
人との繋がりも十分に確保できる。
そして溢れんばかりの暇な時間を、(有料・無料の)ゲームでやり過ごすことだって出来る。

                  

サンタクロースは、こんな情報端末を通しても病室にやってきて、ともすれば不安で孤独になりがちな病人にも(そして家族にも)希望と安心をもたらしてくれる。使い方次第である。