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2013年3月22日金曜日

県道102号線拡幅工事 進む

県道102号線の東野・東原地区で道路の改良工事・拡幅工事が進められていことを以前のブログに書いた。
 2013/01/28ブログ

予定では工事期間は3月15日までであったが、やはり延びているようだ。
工事期間を公知する看板も、工期がしっかりと3月末まで2週間以上延長されている。
工期は3月31日までに変更されていた
今日の現場では、側溝の整備やら削り取った土手斜面への芝張りなどが行われていた。
遅れながらも着実に進んでいる風ではある。
はやく広い道路が開通して欲しいものだ。
見通しの悪かった部分の土手も削り取られてスッキリした
         

先だってのフログに記したように、この工事部分の近くには縄文土器を中心とする土器の散布地がある。
今日、現場を歩きながら削り取られた土手部分を観察したところ、数個の土器片が露出しているのを発見した。
土器片が露頭している
持ち帰り土を洗い流してみた
採取場所は工期を記している看板のすぐ近くだ。
工事が始まった時から土器散布地の一部が破壊されはしまいかと心配していた。
やっぱり(破壊された)なぁと思いながら、このまま道路工事で破壊されるのは忍びないため持ち帰った。
(本来、これら遺物はその発見場所にそのまま置いておくのが原則だ。だが、道路工事で発見場所そのものが無くなるためやむなしだ)
ご覧の通り、小片ながらはっきりとした文様が見て取れる土器だ。
ほんの数分間歩いて見ただけで、工事部分の土手部分からは写真のような土器片数個とメノウ片1個を拾い上げることができた。

この付近が太古の昔から人が定住してきた住み良い場所だった証拠だ。
この一帯、玉川の流域は現代の価値基準の住み易さでは多少難があるのかもしれないが、自然環境だけでいえば最高の環境だと思う。

クドいようだが、小生は早く拡幅工事が終わって快適な道路になって欲しいと願っている一地元民のひとりである。

2013年1月28日月曜日

県道102号線 東野東原地区 道路改良工事進む

玉川村駅前を通っている県道102号線は、長沢水戸線といい常陸大宮市の長沢(ここ玉川村駅から北に5kmほどの場所)から、水戸市下国井町(常磐自動車道・水戸北スマートIC近く)までの約27.5kmの県道である。
北の始点・長沢地区から南下すると、旧の山方町内である照田地区までは道幅も広く真っ直ぐに整備された道路を進む。
だが、旧大宮町区域内に入ったとたんに幅員が狭くなり、道も地形に沿った昔ながらの狭い道路になる(Googlemapで確認できる)。
場所はここ
この道路部分の整備が遅れた本当の理由は知らぬ。
地権者交渉等、いろいろな事情があったのだろうと思う。
(偶然かもしれないが旧の行政区分の境目でに全く異なることに)こうも違うものかと考えさせられる場所である。

センターラインがある道を気持ちよく進んできたのに、いきなり対向車と譲り合わねばならない程道幅が狭くなり、かつ見通しがきかない曲がりくねった道に遭遇するのだ。
この道を利用しているドライバーにとっては、ちょっとしたストレスであったろう。

そんな難所もやっと道路改良工事が始まり、かつての姿を変えようとしている。
ストレスから解放される日は近いようだ。
県道102号線の中には他にも同様な場所はあるとは思うが、地元民としてはこの450m区間の改良を素直に喜んでいる。
残念ながら家の建て込んでいる玉川村駅前部分や、東野十文字部分等は拡張工事はなされない。

南側から拡張工事始点部分を写す。
看板によれば3月15日までの工期だ。
拡張部分を南側から写す。
道路西側の照田川の竹やぶを埋め立て10mほど広げ
曲線部分を真っ直ぐにするようだ
運行本数は少ないものの茨城交通の路線バスも通っている道路だ。
ダンプカーやトラック類の通行も多い。
この竹やぶに左前輪を脱輪した車(すれ違う時に左に寄り過ぎたのだろう)を目撃したことがある。
もうそんなことは無くなるだろう。
この道路拡張で移転を余儀なくされた地蔵も、新しい場所に既に鎮座している。
拡張部分を北側から写す。
お地蔵様も引っ越し済み(左の電信柱横)だ。
元は緑色の建物(工事現場用トイレだ)の所にあった
         

余談だが、この道路拡張工事部分(A〜B)の東側の一帯には、旧大宮町の大宮町史(昭和52年3月刊)付属の遺跡地図にNo49『東原遺跡 散布地』として記載されている遺跡がある(赤丸部分)。
大宮町史付属の大宮町遺跡地名表より

拡張整備区間はBからAまで450m
学術的な発掘調査はこれまで為されていないが、水郡線とこの県道の間の畑一帯に主に縄文時代中期の土器片、および土師器の破片が見られる。

以下は勝手な想像だが、お地蔵様が元いた場所の近くで、道路拡張に先立ち防火貯水槽工事(県道の東側土手部分だ)が既に終わっているが、この工事で遺跡の一部をおそらく破壊したのではないかと思う。
試掘も含めて調査が為されていないので、散布地域の正確な範囲は分からないのが現状だが、常日頃何か(土器片やら鏃やらメノウやら)落ちていないかと畑の土を眺めながら歩いている小生にはそんな気がしてならない。

そして今度の大規模な道路拡張工事だ。
地元の在野考古学マニアとしては破壊は(あったとして)最小限であって欲しいと願っている。
(クドいが、この道路を使う一市民としては大変有難い有益な道路工事であると思っていることだけはしっかりと記しておきたい)