先だって常陸大宮市の歴史民族資料館が開催した企画展『常陸大宮の地下資源』(2013/1/15〜3/15)では、当地の地下に眠るさまざまな鉱物地下資源にスポットをあてて現物を展示した。なかなか良い企画展だった。
普段目にしている石ころも、研究者にしてみればレキットした歴史の証言者であって、それらの調査研究から実に多くの事象が推察されるようだが、残念ながら浅学の身としては、石ころは石ころにしか見えないのが実に悲しい。だが、素人にもはっきりと分かるそれらしい姿形のものであれば話は別だ。
我が家の屋敷続きにある山は、主に砂を多く含んだ堆積層(岩と呼ぶには柔らかでモロすぎる)だが、幾重にも重なった地層のなかには化石を含む層がある。
ブログトップに載せている里山の写真の場所である。
この山の奥の部分に、紫黒米を栽培する田んぼがあるし、ヤマドジョウが棲む谷間の沢、水芭蕉を植えた場所もある。
| 木の葉の化石。葉脈が確認できる |
| 同じ層には有機物ではないかと思われるものが多数含まれる部分もある。 丁寧に剥がせはもっとはっきりした形の化石が見つかるのかもしれない |
| 同じ層の砂岩の中からは、真っ黒な粒もたくさん出てくる。 炭化した植物の種子のようにも思える。 |
地元民は『貝殻山』と呼んでいる。
いずれもかつてこの辺りが温かな浅海だったり、その近くで植物が生い茂った温暖な地であった頃のものだろう。
その後、茨城北部の男体山の火山活動によって海底が隆起。さらに造山活動により地層が彎曲、浸蝕、現在の姿になった、という数十億年のドラマ。(←受け売りの知識だが、これを企画展で再確認できた)
我が家の山の地層面を見ていると、粗くてもろい砂粒の層だったり、極めて粒子が小さな泥の層だったり、固い大きな岩石(ハンマーも歯が立たないほど固い)が含まれる柔らかな砂の層だったり、と実に多様な地層が重なっているのが見て取れる。
この地層の厚さになるまでには何億年かかったのか知らないが、それをいまこうやって掘り露出させ、その長い時間の流れを一覧にして目にしている。
この木の葉っぱの化石にしても、よもや何億年か後にこうやって日の目を見る、写真に撮られるとは思わなかったに違いない。
そう考えると不思議な巡り合わせだ。
魅力尽きない足下の地下資源。玉川の瑪瑙・火打石は既に有名だが、それだけではない。
この肥沃で豊穣な大地そのものがまさに宝だ。
過疎化は残念だが、なんとまあ魅力的な地域であることか(・・と最近つくづく思う)。
